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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=28

 話したい事は山ほどあるが皆無口のまま。夕飯も喉を通らない。行く者も残る者もそれぞれ今後のことが心配なのだ。決死の行為であるこの旅がどんな意味を表し、どんな結果をもたらすか、神のみぞ知る。今生の別れとならんとも限らん。
 残り少ない時間を家族水入らずで過ごそうと言う思いに反し、2~3人の外人の仕事仲間が母の快復と兄嫁のお産が順調に、全てが良く運ばれるようにと励ましの言葉をくれた。逃避行である事を悟られまいと、普通に振舞い、棉摘みの話しに移した。しばらくしたら、時間通りにタクシーが着いた。しばしの別れか、永久の別れか、神のみが知る今日の別れ。行くも残るも運命を神に託し、誰にも気づかれまいと涙を隠しての別れであった。
 その翌々日、又しても3度目の家宅捜査に警察署長と云うのが8人もの兵隊と書記と云うのがやってきた。今までの応対よりはましで腹を割っての話し合いをしたがっている様子だ。他の家族の者は何処だと聞いてくるので、兵隊共に半殺しにされた母が腰の骨を折られ未だに立てないので、2~3日前からミネイロス・ド・チエテで医者にかかっている。その医者からは誰が治療費を出すかと聞かれているので、請求書は警察に廻してやると逆捩を食わしてやった。
 続けて、何度も来るより、いっそのこと僅かばかり残ってある物を全部カミニョン(トラック)に積んで持っていけと晴らした。相手は参ったと言わんばかりに悪態をついて帰って行った。もう目ぼしい物も無く、嫌がらせに来たのだろう。
 ドゥアルチーナに旅立った老父母や兄嫁そして妹は無事に着いたのだろうか。異変があったら何かの方法で知らせが来るはずだ。
 あと一週間。せいぜい十日でここを引き上げる積りだが、それまで無事に過ごす為には棉摘みの用意を見せかけなければならなかった。篭の手入れをしたり、サッカリアを日に干したりして過ごした。愈々決行の前日、ミネイロ・ド・チエテのドトールに別れの挨拶に向かった。お礼も出来ない状態だったがせめてもの気持ちを伝えたかった。
 今までの成り行きを話し、深々と礼を述べた。血と汗と涙で育て上げた棉畑。開き始める寸前の宝の山を命と引き換えに無一文で逃げなければならない苦境をドトールは心底理解し、幸福を祈る、よく決断したものだと涙を流しながら励ましてくださった。それから互いの健康と安全を祈る約束をして帰宅した。
 翌日は集合場所を決め、身に着けた服以外はなにも持たず目立たないように一人ずつ出かけた。兄貴だけが末っ子の稔と一緒に行く事になった。ポケットには自分達の分身である一握りの棉だけが入っていた。
 時々後ろを振り向いたりして手塩にかけた命の棉畑を、涙で霞む目に、そして心にその風景を焼き付けておくのが精一杯だった。未練が残っていたのだろう。棉畑が見えなくなるまで振り向きながら歩いたのを覚えている。集合場所にやっとたどり着くと、一人ぽつんと心配顔で好明が佇んでいた。すぐ後に兄貴の良徳が、むずかる稔の手を引きながらやってきた。もう5時過ぎていた。秋の日は暮れやすい。カンポス・サレスまではまだかなりの距離だが、今までのパストの道とは大違いで歩きやすい。兄弟揃ったので安心したのか、稔が元気に歩き出した。それに連れられて、皆も安心したのだろう。無理も無い。末っ子で母に甘やかされて育てられ、最悪の状況で引き離されてしまっていたのだ。