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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(1)=息子の妻が逸話明かす=「特別な関係」とは何か

 61年前、難問だった「戦後初の日本移民導入」をジェトゥリオ・ヴァルガス大統領(当時)との〃個人的な関係〃から実現したのが、和歌山県出身の戦前移民・松原安太郎(1892―1961)だ。そんな大功労者の割にまとまった経歴が書き残されておらず、むしろ〃毀誉褒貶相半ばする人物〃のような評判まで残っている。今年4月に仁坂吉伸・和歌山県知事をはじめとする50人以上の大型訪問団が戦後初の日本人集団地・松原移住地を訪れたのを機に、麻州クイアバに住む子孫を訪ね、家族に伝わる「安太郎伝」を聞いてみた。(田中詩穂記者取材、深沢正雪記者補足、一部敬称略)

 松原安太郎といえば「ヴァルガス大統領との個人的親交から特別に移民枠を作ってもらった」功績で移民史上有名だが、その割に詳しい個人史がない。有名人の場合は本人が残そうとしなくても周りが書くことが多いが、遠慮せざるをえない事情があったのか。
 『消えた移住地を求めて』(小笠原公衛著、人文研、04年)の中では《M氏はすでに大ファゼンデイロとして盛名を馳せていた。翌年には、時の大統領ゼ・バルガス(第二期)を自耕地に招き、世間をアッと言わせている》(39頁)と明らかに松原のことを指しながら、《毀誉褒貶の多い男でした。やり手でしたナ》(39頁)とのマリリア日系社会での人物評を載せている。
 困難な終戦直後に移民枠を作った日本移民の恩人のはずだが、本当はどんな人物だったのか。
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 一般的なその功績は『日本移民70年史』に次のように書かれている通りだ。《戦後の家族移民導入のきっかけとなったのはサンパウロ州マリリアの農場主松原安太郎によるブラジル中西部への4千家族導入計画(松原構想、松原ワク)と、上塚司、辻小太郎による北部ブラジルへの5千家族導入計画(辻構想、辻ワク)である。この二つは一九五一年のほぼ同じ時期に、当時のヴァルガス大統領とのコネを辿る直接交渉によって許可を得ている》(1980年、113頁)。
 ブラジル近代史上最も影響力のあった大統領ヴァルガスと日本移民との「個人的な関係」は、子孫の間でどう語られているのか。6月下旬に麻州クイアバに住む松原の三男パウロ義和(よしわ)氏の妻祐子さん(74、二世)の自宅を訪ねた。
 「この話を姑から聞いたのはもう25年前。記憶が薄れている部分はあるけど、姑は私がこの話を代々受け継がせていかなきゃいけないと言って、全部話してくれたの」。
 なぜ一介のファゼンデイロだった松原が大統領と直接交渉できる立場にいたのか、どうその関係は始まったのか。そんな疑問をぶつけた記者に、祐子さんは次のように語り始めた。(つづく)