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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2012年12月7日付け

 「設計することはOKしてくれたんです。けどね…、結局は出来なかったんです。今になってみると本当に残念です」。建築家オスカー・ニーマイヤーの訃報(2面に詳報)に接し、まず頭に浮かんだのはリオ州日伯文化体育連盟が計画していた「日本移民百周年記念碑」だった。ニーマイヤーに設計を依頼し、計画が進行していたはずと思い、さっそく鹿田明義会長に確認の電話をすると、悔しそうにそう応えた▼ニーマイヤーはブラジル人親日家を中心とするリオ日伯文化協会の名誉会員でもあり、04年には「高松宮殿下記念世界文化賞」も受賞している。鹿田さんはアトランチカ大通りにある同建築事務所に3度も打ち合わせに行ったという▼「小1時間も話をし、設計を引き受けてくれた」と思い出し、「すごく気さくな人」とその時の印象を語る。こだわりの建築家だけに「建設予定地をまず見たい」と要望し、「それじゃあ、迎えに来ますから時間を決めましょう」とトントン拍子で話は進んだが、実際に車で迎えに行くと「今日は風邪をひいて体調が悪い」とか「腕を怪我した」などとなってしまったとか▼鹿田さんらが同建築事務所に〃三顧の礼〃に向かった当時、すでに98歳だった。〃ブラジルの国宝〃的存在であり、「無理をさせてはいけない」と鹿田さんたちが遠慮しているうちに、百周年が過ぎてしまった。もし実現していたら、どんな形の記念碑になっていたか——と想像するだけでワクワクする。リオ五輪時の観光名所の一つになっていたかもしれない。せめて構想スケッチ、走り書きだけでも残っていれば…。合掌。(深)