ニッケイ新聞 2012年12月8日付け
水野龍や上塚周平らが音頭を取り、791人もの移民らをブラジルに送った笠戸丸からの100年は多くの秘話もあり、多彩な歴史を物語る。上塚周平は瓢骨の俳号でサントス港に着岸したときに「ブラジルの初夜なる焚火祭かな」と詠み、これがブラシルに渡った日本人移民の初めての俳句とされ、その後—25万人にも達した後続移民らも幾多の活字の本を遺していった▼この膨大な数の書籍から醍醐麻沙夫さんたちが160点を選択し「ブラジル移民文庫」を編纂し、サイトで公開を始めた。元々は「移民100周年」の記念としてコロニアのご婦人らがパソコンに打ち完成?したのだけれども、誤字脱字が多かったため醍醐さんが訂正し、やっと完成版ができたものであり、そのご苦労のほどは計り知れないほどに大きい▼収録作品の中には青柳郁太郎の「ブラジルに於ける邦人発展史」や鈴木南樹「ブラジル日本移民の草分」などの貴重な文献があり、これらは移民の大切な記録として是非にも後世に残したいものである。青柳氏は旧海興を創立し、桂植民地やレジストロに移民を導入し、同地に南米一とされる精米工場を建設した人物であり、これらの建築の一部は今も燦然と輝いている▼南樹さんは笠戸丸よりも早くブラジルに入り、同航の水野龍の依頼でモジアナの大農場に入所し、コロノ暮らしを体験した先駆者であり、これもまた大切な移民史料である。この他にも農業や芸能、文芸と幅広い蒐集は真に意義深い。先に挙げたボランティアのご婦人らと醍醐さんらに「移民文庫」の完成について心から「ご苦労さまでした」と申し上げたい。(遯)