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学校が地方文協存続の要=シンポ「10年後の日本語教育」=ピラール・ド・スル日伯文化体育協会学務理事=南 満

特集 2010年新年号

ニッケイ新聞 2011年1月1日付け

 サンパウロ市から南西に140キロ入ったピラール・ド・スルへの初入植は、戦争直後の1945年だった。最初は農家の倉庫を間借りしてこっそり寺子屋式で、「日本語教育は険しい道のりだった」という。
 67年に現会館ができ、70年には寄宿舎兼日本語学校が建設されたが、父兄は農業に忙しく学校に無関心だった。一計を案じた当時の教師は生徒に日記や作文を書かせ、父兄に読んでもらい、徐々に関心を高めることに成功し、生徒数は20人程度から150人にまで増えたという。
 「学校、父兄、文協が手を握り合って初めて教育ができると教えられた」とふり返る。
 80〜90年代には多くの地方と同様に、ブラジル経済不況、デカセギブームで、文協自体の経営維持すら大変な時代になった。「日本語学校を辞めたらどうだという意見が出た時代もあったが、文協役員の中から『こんな時こそ、日本の道徳や文化を維持し、それを学ぶ場としての学校を存続させるべき』という声が上がり、文協、父兄会、母の会で協力してやっている」。
 年に3〜4回、「牛の丸焼き」などの学校支援の資金集めイベントをする。「みな一体になって、資金めを通じて文協や父兄の横のつながりが密になり、団結が強まっている」。と同時に5月の母の日、9月の敬老会などのように父兄や地域の一世が喜ぶ行事にも力が入れられている。
 現在の生徒数は約70人で、うち非日系10%。非日系の父兄も徐々に学校のイベントの準備などに協力するようになってきている。
 週5日間、50分授業を2時間やる。情操教育にも力を入れており、体育も週2時間。陸上部、YOSAKOIソーラン部、和太鼓部もある。お年寄りに学校に来てもらい、わらじの作り方を、婦人会には日本料理の作り方を習うなど、日本の習慣や文化を地域が一体になって学べるようにしている。
 教師は7人で、うち3人が同校卒業生などの現地教師、残り4人がJICA派遣など日本からきた教師だ。「文協のイベント、他地域のイベントにも積極的に参加してもらい、その先生の活発さに影響され、学校が活気づいている」。
 聖南西地域のほかの盆踊りなどにも参加し、子供同志が自然に触れ合う場を作っている。「供養の気持ちを忘れず、みんなで楽しく踊っている様子は、見ていて気持ちがいい」。
 家庭内で日本語が使われなくなった現在、その代わりに、日本語をしゃべる一世が教室に来る、盆踊りなどのイベントに子供たちが一世と一緒になって参加することを通し、地域ぐるみで日本語環境を作る取り組みをしているようだ。このような生活の中で、自然に日系人が中心となった幼児体験がなされ、日本文化に対する親密感が醸成される。と同時に、日本文化を愛する非日系が育っていく。
 現在の文協の会員は160人。「うち70%が果実栽培に従事しており、子弟のほとんどは日本語学校の卒業生。都会の農業大学や西村農学校を卒業して戻ってきて、後継者としてがんばっている。若い人たちが農業をして父兄として学校を支え、文協の役員にもなっている。だから、みんなで学校を盛り上げていかなくては」と感じている。日本語学校が軸となって文協を支え、地域の農業界にも人材を供給している。
 最後に「日本語学校を維持する努力の先に10年後、20年後のコロニアがある」と締めくくった。
 日系社会存続の特効薬は存在しない。このような地道な日本語学校存続の取り組みを一年、また一年続ける先にこそ50年後、100年後がある。
 日本語学校を中心とした人材の育成・循環が続く限り、地方文協は存続する。各地にそのような文協がたくさん残ることで、全体としての日系社会は次の世代、その次の世代へと維持されていくに違いない。