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98歳で初の出生登録=両親失い学校にも行かず

 トカンチンス州の農夫ヴィルジリオ・カショエイラ・デ・オリヴェイラさん(98)が、やっと出生登録証を入手した。
 ヴィルジリオさんは同州タグアチンガで生まれたが、出生届が出ていないため、身分証明書も納税番号もないまま、約1世紀を生きてきた。
 ヴィルジリオさんの母親のマリア・カショエイラ・デ・オリヴェイラさんは、幼かったヴィルジリオさんを当時住んでいたイーリャ・デ・バナナルの隣人達の手に託して亡くなった。父親のマノエルさんもそれ以前に亡くなっており、ヴィルジリオさんの出自を記録したものは何も残っていなかった。
 だが、母親のマリアさんが隣人達に、ヴィルジリオさんは1915年8月2日(月)にタグアチンガで生まれたと言い残していったため、育ての親となってくれた人々からこの日付を繰り返して聞いてきたヴィルジリオさんは、2013年10月に登記所に行って出生登録を行うよう要請した時も、この日付で作ってくれと頼み込んだ。
 「俺は母親の顔も父親の顔も知らない。バナナルのみんなが俺を育ててくれた」というヴィルジリオさんは、今日はこの家、明日はあの家といった具合で世話になり、畑仕事を手伝いながら大きくなった。
 学校すら行かずに育ったヴィルジリオさんが出生登録を申請したのは年金をもらうためで、今年4月に司法当局が申請を受理した事で、98歳にして初めて、出生登録の夢が叶った。
 出生登録は出生証明や身分証明、納税番号、労働手帳などを取得するための基本情報であるだけではない。ヴィルジリオさんは出生登録がされていないため、教育や保健衛生、最低賃金その他の社会的恩恵を何一つ受ける事が出来なかった。
 現在は78歳の妻、マリア・ペレイラ・ダ・シウヴァさんとは畑仕事を通じて知り合ったが、正式な婚姻が出来ないまま1男2女を得、男児1人を養子に迎えた。
 お金がなくて出生登録やその他の書類の申請ができなかったというヴィルジリオさんは、出生登録さえされていない人のほんの一例だ。
 地理統計院(IBGE)によれば、0~10歳で出生登録されていない子供の数は2008年以降減っており、2002年は0~10歳児の20・3%と見られていた未登録児は、2012年には6・7%まで減ったと見られている。政府目標はこの数字を国際水準の5%以下に引き下げる事で、2010年9月からは、母親が産院を退院した時点でインターネット申請すれば、無料で出産証明を入手する事が出来る様になっている。この場合、子供が生まれた施設の公私の別は問わない。(28日付エスタード紙サイトより)