そんなある日、あわただしい蹄の音がコーヒー園に響いた。ただ事ではなさそうだ。「中野さん、中野さん!」と叫ぶ声と同時に、一人の青年が全身汗と埃にまみれ馬から飛び降りると、おやじに縋り、あまりの疲労に声も出ず、しばらくゼイゼイと吐く息も苦しげだった。しばらくしてようやく一口の水をすするように飲み、大きい吐息をつくと涙を流しながら語り始めたのは、次の内容だった。
「昨8月14日の御前会議で重臣の居並ぶ前で陛下自ら『これ以上抗戦すれば日本民族は断絶となる。一億の命を殺すことはできない。依って世界連合軍の提案に従いポツダム宣言を受諾し、一億の命を救いたい』と、血を吐く如き陛下のお言葉に重臣たちは一言のお答えもできず、静かに時が流れた。しばらくして阿南陸軍大佐が『軍部としては既に敵の大軍相手に一戦を交え打破る方策。万一敗れたら一億玉砕の覚悟。自ら機関銃を執り一兵士となって戦うつもり』と、涙ながら本土決戦の決意を述べたが、重臣方は、『和平こそが日本の生き残る唯一の道だ』と陛下の思し召しに同意した。阿南陸相も涙を呑んで同意せざるを得なくなった。ポツダム宣言を受諾し、その旨詔勅が出る」。こんな情報をあえて持って来て下さっていたのは、予てより一部の非日本的な言動に敵愾心を示していた武藤さんという青年だった。
一部の非日本的な行動を煽る一派に対抗すべき他派の長にと、皆から推されているおやじへ一刻も早く情報を伝えたい一心で住所もわからず、聞いた話だけを頼りにして、あちこち尋ねながら、馬で4時間もかけてやっとたどり着いたとの事。4時間もかけてここまで来るとは……おやじは気の毒に思い、とにかく、家で食事でもしながら話をしようと誘ったが、内緒で来たからすぐに戻らねばと言い、帰っていった。武藤さんのお蔭で大体の事情は把握できたが、おやじの気落ちが気がかりだった。おやじばかりではなく、家の者皆が日本の勝利を信じていた。まさか負けるとは。でも世界が相手だ。負けたとしても恥ではない。ただし、今後の日本が思いやられる。一部の非日本的な国賊共が国体を冒瀆し、皇室を誹謗していたのを考えれば、人間の特有な群集心理によってどんな過激な行動が起こされるであろうか。今後の成り行きが気にかかる。
翌日、おやじは久しぶりにドゥアルチーナへ出かける準備をしていた。詳しい情報を得るためにはサンパウロまで行かねばならぬのかも知れないが、在外公館があるわけでもないし、ただの憶測に過ぎないので、今は待つより外はあるまい。また、相手次第だが、非日本的な思想の持ち主の集団を挑発する恐れもある。先だってその一派に対して制裁論まであったのだと聞いていた。「町に留まって様子を見るのでしばらく帰って来ないかも知れない」と言って出かけた。1カ月足らずで収穫の時期を迎えようとしていたシーチオでは、世情の慌ただしさに関わりなく、のどかな日々が過ぎていった。
とはいえ今の二分されつつある日本人の感情には心に響く何かがあった。一週間後に帰って来たおやじは、現在では信ずるに足りる情報は一週間前とは何ら変わりないという。非日本人の一部は自らを「認識派」と称し、産業組合文教普及会(当時ブラジルでの日本文化を牛耳る最高機構)の幹部であった人、日本の国体、皇室への尊敬を説いていた人物の俄かな変貌ぶりに大半の同胞は戸惑い、奇異に感じた。その思想はあらゆる産業組合で見られたという。
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