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大統領と日本移民の友情=松原家に伝わる安太郎伝=(9)=ヴァルガスが耕地を訪問=「政治目的なし」と訝るエ紙

大統領(中央)を囲む松原一家と農場の人々(『在伯日本人先駆者伝』パ紙、203頁)

大統領(中央)を囲む松原一家と農場の人々(『在伯日本人先駆者伝』パ紙、203頁)

 52年10月8日付パ紙は「大統領、松原耕地訪問」の見出しで、《ヴァルガス大統領は五日午前、特別飛行機でマリリア駅アヴァエンカ区の松原安太郎氏の耕地内に設けられた飛行場に到着、これを待ち合わせていたガルセース知事と二時間にわたって会談した。(中略)会談内容は判明しないがリオ政界では異常な関心が寄せられている模様である。(中略)ヴァルガス大統領は五日夜松原氏宅で送り、六日午前は邦人約廿人と会談、午後一時半発ってリオに帰った》と報じた。
 祐子さんは「ヴァルガスは大統領に当選した後、15人ほどの付き人を連れ1週間マリリアの松原の農場に滞在した。農場でゆっくりして、今後のことを2人で話し合ったみたい」と話すが、実際は一泊しただけだった。だとしても現職大統領が、つい5年前まで敵性国民扱いされていた一介の日本移民の農場を訪ねるなど前代未聞だった。
 州知事をサンパウロ市に尋ねるのではなく、マリリアにわざわざ呼び寄せて懇談したことから分かるのは、それを主目的に見せかけ、その実、友人の農場を訪ねるのが大統領の本当の狙いだったのではないかという点だ。
 マリリアにあった飛行場から農場までは25キロあったが、ヴァルガスはその飛行場には降りず、専用機で農場まで直接飛んだ。「誰にも知られたくなかったから、農場には記者も当然連れて行かなかった。だからこの事実は知られていないし、私たちがその証拠の写真を持っているの」(祐子さん談)。
 マリリアの松原耕地は既に売られたが、大統領を迎えたそこには、当時ブラジルには普通なかった輸入品の家具、冷蔵庫やガスコンロまで揃っていた。電気は私財で入れたものだった。「ヴァルガスが訪問時に連れて行ったお抱えシェフは、そのキッチンで料理を作った。その時の写真もあるわ」と思い出す。
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 これを敵対派が黙ってみている訳はなかった。
 伝統的にヴァルガスを敵視するサンパウロ州地元紙エスタードは、同年10月7日付4面でさっそく「政治目的なきゼットゥリオ・ヴァルガス氏のサンパウロ旅行」との見出しの訝る記事を出した。情報を求める新聞記者に何の事前告知せずにサンパウロ州へ行ったことを《a falta de criterio profissional(職業的基準を欠いた)》とまず批判した。
 その上で、《一番奇妙に見えるのは、ヴァルガス氏のサンパウロ旅行は政治的目的が皆無なことだ。先週からここ(サンパウロ州)では、カテテ宮と結びついた日本人のある集団が、松原安太郎氏の農場に共和国大統領による個人的な訪問を待っていることはすでに知られていた》と強調した。
 その情報源として、《日本国大使がサンパウロ市に来た機会に、サンパウロ市のコロニア指導者らは大統領が松原氏から招待状を受け取ったことは知っていたが、大方の予想では最終的には断るだろうというものだった》(同記事)とある。
 つまり、当時のサンパウロ市コロニアの指導者はエスタード紙と通じており、「断るだろう」と伝えていた。当然、その雰囲気が邦字紙に反映された。
 「大統領、松原耕地訪問」と報じた52年10月8日付パ紙が、一日本移民の耕地を大統領が訪れたのに、トップ記事で喜ぶのではなく、三段見出しで処理したのは、パ紙で「リオ政界では異常な関心が寄せられている模様」と書かれているような有力者に対する配慮からだろう。
 同じ思惑からか「ガルセース知事と重要会談」と見出しをつけ、松原耕地を訪れることが主目的ではなく、別に正当な理由があったかのようにコロニアに伝えた。(田中詩穂記者、深沢正雪記者補足、つづく)