平日の夜NHKを観る事は珍しいが、8日夜はポ語のニュースに切り替える事もなく長崎の平和記念式典の中継に見入っている内に、「献水」という言葉を聞いて胸が詰まった▼「献花」という言葉は葬儀や追悼式典でも良く聞くが、献水という言葉を耳にした途端、被爆者達が水を求めてさ迷い歩いた姿や、火傷の痛みや苦しみを和らげたくて川などに入って死亡した事などを思い浮かべたからだ▼長崎は訪問した事がないが、広島の原爆記念館で見た地獄絵が蘇る。高校時代に恩師の一人が「はだしのゲン」という漫画を貸してくれた事や、文化祭の教員出演に加えてもらい「原爆許すまじ」や「死んだ女の子」などの曲を歌った事もあって、原爆の事はある程度認識しているつもりだったのに、頭だけの理解だった事を改めて思い知らされた瞬間でもあった▼広島や長崎に原爆が落とされてから69年も経ち、原爆や戦争の悲惨さを伝える事が出来る語り部の数が減っている。その一方、安倍政権が閣議決定で集団的自衛権の行使を認めた事に一部の識者や被爆者達が懸念の声を上げているとも聞いた▼唯一の被爆国である日本が再び戦場となる可能性があると考えると、平和憲法を掲げてきたこれまでの歩みはどうなるのかと地球の裏側から問いかけたくなる。コラム子の父母は第2次世界大戦中に満州に派遣され、終戦後の引揚げのバタバタで2歳だった次兄を失い、髪の毛と爪だけを遺品として残し、遺体は引揚げ船から海に沈めたと聞いた。長兄は当時の事を何も語らないが、世界各地で民族の戦いの報道が聞こえる中、被爆国日本が警鐘を鳴らす役割を忘れないよう願わされた夜だった。(み)