ニッケイ新聞 2011年2月12日付け
労働者党(PT)に対する最も卑劣なキャンペーンは2005年に起きた—。10日にブラジリアで持たれた党発足31周年の祝いの場で、名誉党首に再就任となったルーラ前大統領は、メンサロン事件の存在を否定するべく、先の様な挨拶を行ったと11日付伯字紙が報じた。
PT発足は1980年2月10日。1964年からの軍政が続く中、中道左翼から極左まで様々な労働運動家と「解放の神学」などに触発された学者や知識人なども結集して結成された同党は、1982年2月の正式な政党登録日ではなく、結成日を党史の始まりとして集まっている。
その意味で、31周年記念式典最大の目玉は、創設メンバーの一人で、80〜94年の党首、92年から大統領就任前日の2002年12月31日まで名誉党首であったルーラ前大統領の名誉党首再就任だった。
大統領職をジウマ・ロウセフ現大統領にゆずってから40日というルーラ氏にとって、この記念式典は、PTが開催した政治家としての表舞台への復帰式でもある。
名誉党首就任に際し、ルーラ前大統領はその挨拶で、ジウマ大統領や現政権との関係やメンサロン事件にも言及した。
ジウマ大統領や現政権については、自分は政府要人として関与していないだけで心は現政権関係者のもの以上とした上、「ジウマの成功は私の成功で、ジウマの衰退は私の衰退」と発言。前政権と現政権の違いを説くメディアに対しては「ジウマと私は分離不能」との言葉で苦言を呈した。
一方、2005年6月に表面化したメンサロン事件に関しては、「我が党に対するキャンペーンで、2005年に起きたものほど卑劣なものは無かった」という。
郵政公社を巡る汚職でブラジル労働党のロベルト・ジェフェルソン元党首らが起訴された事に端を発し、政府と国会の癒着などを示す汚職が表面化したのがメンサロンで、官房長官だったジョゼ・ジルセウ氏やジョゼ・ジェノイノ元党首らが、議員権剥奪や辞任の形で表舞台を去った。
ジルセウ、ジェノイノ両氏は、メンサロン事件で起訴され、最高裁での審議を待つ身だが、ルーラ前大統領は、同事件は汚職に仕立てられたものでPTは被害者と語る事で両氏を擁護した。
記念式典にはPT関係者と共に、連立与党や労働組合関係者も出席していたため、来年の市長選挙への候補者擁立を急ぐよう促すと共に、最低賃金に関する政府側提案を各党や労組が支援する事も要請。争うなら最低賃金でではなく最高賃金で争えとのルーラ節も飛び出したという。