ニッケイ新聞 2011年2月22日付け
ブラジル沖縄県人会の定期総会が20日、サンパウロ市の同会館で開催され、ブラジリア、カンポ・グランデ、ロンドリーナなど遠方を含む国内25支部から約100人の代表者が出席した。今年は役員改選が行なわれ、与儀昭雄会長が退任。与那嶺真次第1副会長(60、二世)を会長とするシャッパ(役員候補連記名簿)が承認された。初の二世会長、さらに08年から沖縄の会長として初めて都道府県人会連合会(県連)会長を務めた与儀氏は、3期6年の任期を振り返り同会関係者に深い感謝を表した。与儀氏は県人会長退任により、県連会長も3月の定期総会で退任する予定だ。
会長として08年8月の県人移住百周年祭典成功に尽力した与儀氏は、総会冒頭のあいさつで退任を表明し、在任中の出来事を振り返りながら会長として過ごした6年間を回顧した。
与儀氏は99年から副会長を務め、05年に会長に就任。百周年を前に、71年以来分離状態だった県人会と沖縄文化センターの合併を推進した。現在、両団体の組織・活動を統一する形で統合を進め、09年から与儀氏が両団体の会長を務めている。
県系社会が団結した百周年には母県からのチャーター便を含む世界1200人の慶祝団が集まり、5日間の祭典は盛況のうちに終了した。記念事業の資料館は09年9月に落成、県人住所録と百周年関連行事の写真集を出版し、残る「写真で見る百年史」「ポ語版百年史」も完成を待っている状態だ。
「一世の団体である県人会長になった時は期待と、続けていけるかという不安もあったが、歴代会長、支部、会員の皆さんのおかげで全うできた」と与儀会長。在任中に支部との交流を進められたことにも触れ、今後に期待を表した。
また県連会長として08年6月、開拓先没者慰霊碑を訪問された皇太子さまを案内した思い出にも触れ、「沖縄県人の子孫として名誉なことだった」と振り返った。
与儀会長は「この6年間で社会活動、会運営を学び大いに勉強になった」と話し、役員、支部、会員、関係団体などの名を挙げて謝意を表明。「会長を辞めても、会のためこれからも手伝っていきたい」と話した。
昨年度会計は、収入約39万、支出約34万レで約4万5千レを繰越し。今年は会費を40から45レアルに上げ、約36万レの予算を計上。いずれも承認された。今年は15の本部行事を予定しており、8月には同会創立85周年式典を予定している。
役員改選は単一シャッパを拍手で承認。続いて監査役選挙が行なわれ、正・補欠各3人を選出した。
与那嶺新会長は県費留学生OB。青年部、青壮年会、県人会副会長、統合時の文化センター理事長などを歴任した。県の民間大使ほか、08年まで海外県系企業家でつくるWUB(ワールド・ウチナーンチュ・ビジネスネットワーク)インターナショナル会長なども務めた。
与那嶺会長は取材に対し、「沖縄県系のルーツは無くなることはない」と強調し、その中心となるジアデマ沖縄移民資料館の整備を進めていくと述べた。さらに「人とのつながりのある県人会にしたい」として、インターネットを使って全ての県系子孫をつなぐことも考えているという。
このほか、県費留学制度が母県の事業見直しで「不要」と判定されたことについても、制度継続を要望していく考えを示した。