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本紙OB会12日に発足=創立時記者から若手まで

ニッケイ新聞 2011年2月23日付け

 ニッケイ新聞OB会(田村吾郎会長)の発足式が12日昼、サンパウロ市内のニッケイパラセ・ホテルで行われた。本紙やその前身であるパウリスタ新聞、日伯毎日新聞で働いていた20人ほどが集まり、現役編集部員と懇談した。
 最初に発案者の吉田尚則本紙前編集長が開会を宣言し、続いて田村会長が「今後、会合を重ねる中で、経営難にあるニッケイ新聞を支援する手立てをみなさんと共に考えていきたい」とあいさつした。
 続いて自己紹介となり、先頭を切ったのは激動のパ紙創立初期と日毎創立期に記者として立ち会った87歳の戦前移民、水野昌之さん。「新聞記者というよりは〃新聞屋〃として4年ほど働いた」などとのべた。
 田中敬吾さんも「66年から80年までパ紙で、その後サ紙に移り、計45年間を邦字紙で過ごした」と語り、田村会長は「61年から13年パ紙で、その後週刊時報15年、経済報知創立から20年、今は50年余のブンヤ生活のフェーリアスをしてます」などユーモラスに経歴を語った。元日毎編集長で08年に本紙を退職した神田大民さんも顔を見せた。
 その他、60年代初期にパ紙でカメラマンをしていた仲(つづき)正雄さん(アチバイア在住)、やはりパ紙で10年以上も風刺画の「コロニア漫評」を掲載していた画家でイラストレーターの田中慎二さん、日毎に務めた西田康二さん(ニッケイパラセ顧問)ら多彩なメンバーが一堂に会した。
 加えて、パ紙に勤務した後にサッカージャーナリストになった沢田啓明さん、パ紙勤務後に企業向けニュース速報・データベース「B-side」を起業してサイト運営する美代賢志さん、北大河州のJICAプロジェクトに派遣されている小林大祐さん(元本紙記者)らも特別に来聖するなど若手も駆けつけた。また在日OBからも協賛金が寄せられるなど結束の強さを見せた。今後折をみて会合を重ね、具体的な支援内容を詰めていく予定だという。
 なお当日は特別に座談会が催され、終戦直後のパ紙や日毎創刊時の裏話などが後日、本紙紙面を通じて発表される。