ニッケイ新聞 2011年2月26日付け
ブラジル日本都道府県人会連合会(県連、与儀昭雄会長)の2月度代表者会議が24日文協ビル会議室で開かれ、今年のフェスチバル・ド・ジャポン(日本祭り)、先月の臨時総会で決議した新事務所(同ビル5階の旧援協本部)購入の進捗状況などが報告された。また今月は、第8回フェスチバル(2005年)の会計未承認問題について、当時会長だった中沢宏一宮城会長と現執行部との間に現状、責任問題等の事実確認が成立。中沢会長は今後同問題に関しこれ以上説明を要求しない考えを示し、5年間続いた問題に一応の決着がついた。
第8回フェスチバルの会計問題は、中沢会長ら当時の執行部が提出した収支報告に不備があるとして監事が認めず、承認しなかったもの。その後会場のスタンド設営業者から未払い金支払いを求める訴訟を起こされ、松尾治元会長、与儀現会長へと執行部は移ったが、この問題は取り上げられないままになっていた。
こうした状態の中、昨年11月に中沢氏が問題解決を求める文書を執行部に送付。代表者会議でも解決を求めた。中沢氏は計6回文書を送り、最終的に執行部に対し、「05年度会計報告のどの部分を是正したのか」「当時の執行部が退任した後の責任問題」「裁判については05年度役員は誰もサインしておらず、06年度に裁判にかけた」の3点について文書での回答を求めた。
これに対して現執行部が回答。代表者会議の席で中沢氏が要請し、内容を読み上げた。
3点のうち、05年度会計については、5年を過ぎた時点で領収書の法的効力がなくなることから、会計事務所に確認し是正は
行っていないと回答。責任問題に関しては、執行部の退任後は後継執行部が案件も引き継ぐことを確認。裁判については、発端は05年で、06年に裁判に持ち込まれたとの認識を示し、一審で県連が勝訴後、原告が控訴し裁判は継続中と現状を報告した。
執行部の回答を聞いた中沢氏は、本来なら収支報告を是正して臨時総会で承認するのが順当だったとしながらも、執行部の返事に対し「了解した」と述べ、同問題についてこれ以上の追求は行わないと表明した。
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今年の第14回フェスチバルついて前田ネルソン実行委員長から、スポンサー訪問の状況、入場券を当日10レ、前売り8レアルで販売すること、今年はスタンドの美しさを競うコンクールを実施、上位には賞金を出すことなどが報告された。このほか本橋幹久副会長から、食・芸能への参加呼びかけが行われた。
新事務所に関しては、今月はじめの第1回委員会会合で一部修正した計画図を会議で承認。委員以外の会合参加も呼びかけた。
このほか、北伯福島県人会が県連参加を希望していることが園田昭憲副会長から発表された。投票権をもたない賛助会員として入会してもらうことを考えているという。他の地域の県人会の入会について園田氏は、「県連の一つの節目と思う」と喜んだ。
当日は新しく県人会長に就任した谷広海(宮崎)、南雲良治(新潟)、足立操(島根)の3氏があいさつした。
ようやく落ち着いた=会計問題終え中沢氏
5年にわたった会計問題が一段落した代表者会議の翌日、中沢宏一宮城県人会長は本紙を訪れ「ようやく落ち着きました」と心境を語った。
それまでの州議会駐車場から、今に続くイミグランテス展示場へ会場を移した05年のフェスチバル。実行委員長の有北和田之示さんの急逝を乗り越え、田畑稔実行委員長らとともに成功に導いた。「日本やブラジル政府との関係、州政府の参加など、あの年のフェスチバルは一つの集大成だった」と中沢氏。会計等の混乱はあったが、「我々がやったことが基礎になって、フェスチバルは隆盛を続けている」と話す。
終了翌年の総会で中沢氏は会長を退任し、同問題は取り上げられることなく5年が過ぎた。中沢氏は「厳しかった」と振り返り、「田畑さん、亡くなった有北さんに報告したい」と語った。
現在のフェスチバルについては、「今は若い人がやっていて頼もしい。これからも側面的に協力したい」とし、「日系社会のモデルケースになるようなイベントにしてほしい」とエールを送った。