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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=41

 この調査の結果に数多くの知識人が関心を示し、当時の州統領、アデマール・デ・バロス閣下が「収監されている大多数の日本人の身を案じられている」と知ると、天を仰いで「事態の好転も近い!」と同志と共に喜び合った。そして、その日が一日も早からん事を祈るのであった。
 旬日ならずして事態は好転し、続々と収監を解かれた大勢の同胞が無事帰宅を待つ家族に温かく迎えられ、「勝ち組」社会への春の訪れを知らされた。とは言え、まだまだ多くの人達が冷たい獄舎に閉じ込められたままだった。その人たちの解放なくしては我々の運動も続けなければなるまい。
 こうした実情と世論に屈服した敗戦認識組も鳴りを潜め、相互の腹の中はどうであれ世相は収まったかのように見えた。1946年の末頃には日系社会も平穏になりつつあった。このころから今までなおざりにしていた農事に励むようになった。
 耕地の手入れも殆ど使用人任せにしていたが、いくらか気持にも余裕が出てきていたので仕事に没頭した。農は国の基となり、人を豊かにする。仕事は人の心を素直にする。「勝ち組」、「負け組」と相争っていた頃は、世相に反映され「負け組」に対し憎悪の念を抱くようになり、人間性が邪悪になっていた。それが畑で鍬の柄を握ると自然と心が素直に戻る。百姓魂というのだろう。
 あくまで澄みきった大空の下、柄を握り存分に鍬を入れ、草を刈ると天真爛漫。以前のように心が静まり、一介の百姓に還ることのできた喜びを感じる。青い空、緑のコーヒー園、広々とした牧場を駆け廻る馬、そこかしこに寝そべっている牛の群れ、これらこそが我が生甲斐、心の平和こそありがたいものはない。
 そうした明け暮れの中、必然的に家族の将来を担う兄貴の子供たちが、学齢期を迎えるようになっていた。こんな田舎には学校もないので、町に出ざるを得ないという結論に達した。年老いた両親と兄の家族が町に出て、自分と弟二人が耕地に残ることを希望したが、「家族は一緒にあるべきだ。この際思い切って町に出て、しかるべき商売を始めよう。耕地は今いる監督に任せれば良い。家族の分散はできない」という。
 大家族主義のおやじの言葉はもっともではある。この青空の下、自分や弟達の様な若い力には捨て難き耕地ではあるが、やはり将来は町に出て行かねばなるまい。その内結婚もするだろうし、子供が出来たら自分に出来なかった学問をさせねばなるまい。弟達にしても同じだろう。それならば、ここはおやじの言葉に従うべきだろう。
 町に出るのは次のコーヒーの収穫が済んでからになるが、心の準備も必要だ。何しろ家族が大きいので、それに見合った商売をしなければならない。また、それに必要な資本金の事も考えなければならない。が、今ある蓄えでかなりの事は出来るだろう。
 コーヒー園からは今まで上げて来た様な収入には及ばないかも知れないが、当分値が下がるような気配もない。しかし、姪や甥が次から次へと上の学校に進む様になったら、それ相応の学資も必要となる。方向転換は人の世の常。家族の将来を考えるのなら、現在のままでは到底無理な話だ。家族会議の末、冒険じみた結果だったし、幾ばくかの不安はあったがある程度の基盤は残しておけるので、一致団結して町に出る事にした。

 第十一節 三度目の出発

 のうのうと百姓をしていたこれまでの道のりを絶ち、これからは今までとはまるで違う、人様を相手に商売をするのだから難しい事もあるだろう。