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ブラジル初のミサは復活祭に=南米大陸発見から5日後=先住民も80人余り参加

ニッケイ新聞 2011年4月26日付け

 ポルトガル人のペドロ・アルヴァレス・カブラルがブラジルを「発見」してから5日後の1500年4月26日、バイーア州の南海岸のコロア・ヴェルメーリャでは、後に世界最大のカトリック国となったブラジルで初めての復活祭のミサが行われた。
 1500年4月22日、インド洋に向かっていたカブラルの船は南米大陸に漂着し、新大陸を「ヴェラ・クルス島」と名付けた。当時カブラルが上陸したのは、現在のバイーア州南部のポルト・セグーロだとされている。彼の滞在は10日間だけで、5月2日には、必要な物資を補給した後、インドを目指し、航海を再開した。
 カブラルらの南米大陸滞在期間中に執り行われた復活祭のミサは、フランシスコ会のエンリッケ・デ・コインブラ修道士が司式。乗組員が水や燃料用の薪、フルーツなどをボートに積み込んでいる隣では、二人の大工によって巨大な十字架が立てられ、神聖なカトリック信仰とポルトガル王の名のもとで、初のミサが執り行われた。
 ミサはカトリック教会で最も重要な典礼儀式であり、父である神を礼拝し、その恩に謝し、罪の贖いと御恵を求めるために行われる。また、復活祭はキリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日で、十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念する祭り。
 ブラジルで初めてのミサには、先住民80人余りが参加し、ポルトガル人らの行為をまねていたという。先住民族には自分達の宗教儀式などが既にあったため、カトリックのミサなども受け入れやすかったのではないかといわれている。
 最初のミサが行われた当時、カブラルはブラジルが大陸なのか、大きな島なのかを知らなかったため、ヴェラ・クルス島と名付けたが、後に他のポルトガル船によって大陸である事が確認され、「テーハ・デ・サンタ・クルース」と呼ばれるようになった。1511年に『パウ・ブラジル』が発見されてからは、現在のようにブラジルと呼ばれるようになった。
 カブラルによる大陸発見後、ポルトガル人は沿岸部に商館を建設。1504年には貴金属を求めて、初の内陸部への「奥地探検」(エントラーダ)を行い、ブラジルの開拓が始まった。