ニッケイ新聞 2011年5月3日付け
あのNY高層ビルの倒壊は今も眼底に焼き付いて離れない。イスラムの暴徒が、米旅客機を乗っ取り、乗客も巻き込んでビルに突っ込み、邦人24名を含む3000人の犠牲者を出した事件は「米中枢テロ」と呼ばれ、時のブッシュ大統領は「戦争だ」と怒り、犯行の首領・ウサマ・ビン・ラディンの身柄引渡しを拒否したアフガンのタリバン政権を攻撃する戦争に突入した▼80年代に反米を旗印に過激派のアルカイダ(基地)を組織し、ケニアなどの米大使館を攻撃し占拠したラディンは、建設業で大成したサウジの富裕な家庭に育ったが、10代の後半から欧米の文明主義に異を叫び、あのアフガン戦争でサウジ王室が米軍駐留を認めたことに反発し、公然と王室批判を展開したため、資産もサウジ国籍も剥奪され、国際的なテロ活動に没頭するようになる▼妻4人に子ども20数人は、回教の聖典「コーラン」の教えに従ったのであり、部外者がとやかく言うべきではないが、そんなラディンが、パキスタンの首都近郊の隠れ家を米特殊部隊の攻撃で頭部を射貫かれ死去した。家の壁は3〜5mもあり、ヴェランダも厚い壁だったが、米ヘリ4機の急襲には勝てない。TV映像のラディンの顔には、赤い血が散らばり闘いの凄まじさを物語る▼この闘士の死で米と世界的なテロ活動は一応の幕引きを迎えたが、アルカイダのNo2・サワヒリは健在だし、悲惨な殺人主義に走っている。このため「報復テロ」を恐れる声もあり、原発施設や鉄道などの警戒を怠ってはなるまい。ラディンの死は終わりではなく始まりなのである。(遯)