ニッケイ新聞 2011年5月24日付け
昭和16年(1941)12月8日の真珠湾攻撃からボツダム宣言受諾までの4年は日本にとってもだが、ブラジルやアメリカで暮らしていた日本人移民と子弟たちにとっても、苦しい時代であった。米のような日系人収容所はなかったけれども、笠戸丸移民らも棲み込んでいたコンデ街からの立ち退きやサントス海岸一帯からの強制移住と言うに言われぬ辛酸を舐めたのが、先輩の移民たちである▼枢軸国人と言うことだけで善良な日本人移民が警察に逮捕され、不当な拘束も多かったが、どういうわけか—こんな正義とは遠い事柄を語る稗史(民情報告書)とでもいうべきものが、眞に少ない。いや、まったくないのではないか—とも思う。そんな移民らの苦しみと哀しみを取り上げた安良田済編纂の「受難」が上梓され実のところ驚いている▼これまでにも、古い移民から—あの戦時下や戦後の混乱期についての話は耳にしているが、いわゆる系統だったものではなく、かなり断片的なものであり、あるテロ事件などの個別的な話であった。ところが、「受難」は排日論や黄禍論の動きから資産凍結、徳尾恒壽(渓舟)日記など多彩な内容であり、遯生のような戦後派移民には、とても有り難い▼嬉しいのは、ポ語訳を掲載したことであり、この暗い時代の話を4世や5世の若い人々にも知ったほしい。編著者は「はじめに」でも、「日本語のよく解からぬ子孫の手に落ちたあとの(徳尾)日記の運命は、焼却かゴミ捨て場である。私の心中に苦痛が走った」とある。次代を担う青年たちも、この安良田老翁の胸底をよく汲み取ってほしい。(遯)