祝103周年 移民の日特集
ニッケイ新聞 2011年6月30日付け
6月18日に「移民の日」を迎えるにあたり、一言ご挨拶を申し上げます。
始めに、この度の東日本大震災により犠牲になられた方々へ謹んで哀悼の意を表します。また被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
世界最大数を誇るブラジル日系人社会の中には、家族、友人が被災されたという方も多数いらっしゃるかと存じます。
まだまだ予断を許さない状況が続きますが、一刻も早い救援で被災地の復興を図り、日本全体が再生できますよう、心より祈念申し上げます。
ブラジル日本商工会議所では、困難な避難所生活を余儀なくされている方々を一人でも多く援助し、希望を持って頂くべく、ブラジル日本文化福祉協会、ブラジル日本都道府県連合会、日伯援護協会、財団法人海外日系人協会、在サンパウロ日本総領事館といった日系社会を代表する団体と共に、義捐金寄付協力運動を展開して参りました。
日系社会から多くの支援が寄せられたほか、ブラジル社会からの申し出も多数あり、日伯関係がいかに強固なものであるかをこの度再認識致しました。この場を借りまして、改めて感謝の意を表します。
さて、笠戸丸で781人の日本移民がサントス港に降り立った1908年から、今年で103年の歳月が流れました。
戦前、原生林開拓や農場での重労働に就き、栄養不足や流行病で多くの同胞を失いながらも、たくましく生き抜いてきたの方々が流した血と汗と涙を思うと胸が熱くなります。
日本移民の不撓不屈の精神と助け合いの精神が受け継がれてこそ、政界・財界・学会等あらゆる分野での日系人の活躍が今日あるものと存じます。
一世紀という長きに亘りブラジル社会で高く評価されてきた日系移民の皆様に、心より敬服申し上げます。
日伯経済交流については、第二次世界大戦の際に国交断絶があったものの、戦後の国交回復を機に第1次進出ブームが到来、1960年代からは日伯貿易が拡大し経済ミッション交流も盛んになり、1968〜1975年の間には200以上の日本進出企業が中央銀行に登録されるほどになりました。
その後およそ10年間、ブラジルの財政危機、民主主義への変換期、再度の石油ショック危機、慢性インフレや輸入制限などを要因に多くの日本企業が撤退を余儀なくされましたが、紙・パルプ、アルミ精錬、鉄鉱山開発、農業開発など大型プロジェクトでは数々の業績を残しています。
2006年デジタルテレビ日伯方式、更には2008年のブラジル日本移民100周年を機に両国の政治・経済交流は新局面に突入、両国またはメルコスル間のFTA締結も今後予想されています。
ブラジルは各種天然資源の宝庫であり、バイオ燃料、石油・ガスの深海油田開発など日本の先端技術が活用できる分野が多々あります。
加えて、IT、航空機、バイオテクノロジーをはじめ環境関連技術、太陽光、風力などの再生可能エネルギー、2014年のワールドカップ、また2016年のオリンピックに向けた都市交通、高速鉄道、道路、住宅、公共施設、倉庫や港湾および情報通信、電力等のインフラ整備が目白押しとなっております。
日本企業がこれらの事業を推進していくためには、日系社会の皆さまのお力添えが不可欠です。
皆さまとの戦略的なパートナーシップを構築していくことで、我々は日系社会の活性化に寄与できることと確信しております。ブラジル日本商工会議所は日伯経済交流促進に向けて全力で取り組む所存でございますので、これまで同様ご協力の程宜しくお願い申し上げます。