ニッケイ新聞 2011年9月3日付け
沖縄県人会創立85周年祝賀祝典を開催するに当たり、遠路遥々母県から上原良幸副知事はじめ各町村の慶祝団ご一行をお迎えし、また、在サンパウロ日本国総領事館大部一秋総領事、大田慶子連邦議員、神谷牛太郎市会議員に、文協・援協・県連、そして各県人会代表のご参列に敬意を表し、心から御礼を申し上げます。
このたび85周年を迎えるわが沖縄県人会は、その名も「ブラジル沖縄県人会・沖縄文化センター」となり、全伯44支部の活動に支えられて一大県人会組織となっています。
16万沖縄県系人を代表する団体として、本部会館はもちろん各支部の会館は、沖縄芸能・文化の普及と発展の殿堂となっております。
しかしながら、このような当会の発展は、1926年8月22日に創立された球陽協会の勇気ある先人たちの偉業の賜物であります。
先人たちは、二度にわたって日本政府が「不良移民」の名の下に実施した「沖縄県人移民禁止」措置に対して、理不尽この上ない差別的措置として、その全面撤廃を訴え続けました。
全伯県系人を代表して参集した29名の勇者たちは、夜を徹した審議の末に全会一致で球陽協会、即ち沖縄県人会を創立し、23支部2千余名の会員を結集しました。
初代会長翁長助成・与那嶺仁五郎・上原直勝らをはじめ笠戸丸組・初期先人たちの血の滲むような努力を通じて、県人移民禁止措置は、実質上撤廃され、後続移民であるわが祖父母たちが続々とブラジルの大地に移り住むようになったのです。
球陽協会の「イチャリバ チョウデー」・相互扶助の伝統的精神は、戦後の沖縄県人会の再出発(全伯沖縄海外協会)においても明確に受け継がれました。
戦後初期の勝ち負け抗争の苦難の中で郷土戦災救援物資を送り続けた先輩たちは、全伯県人の大同団結を訴えて、当時の琉球政府と連携し、戦後移民受け入れ体制の確立に心血を注ぎました。
こうして沖縄から1万人を超える戦後移民がブラジルの大地に移り住むようになり、戦前移民と一体となってブラジルにおける県系人社会形成の基盤となったのです。
今日においては、高名な政治家・法曹界・医療界・教育・文化、そして優秀な企業家など各界に多くの沖縄県系ブラジル人が輩出され、活躍しております。
このように歴史を顧みるとき、改めて先人たちの偉業に深い敬意と感謝の思いを捧げずにはおれません。ここに創立85周年記念祝典を盛大に挙行する次第であります。
最後に、来る10月12日から開催される「第5回世界のウチナーンチュ大会」にブラジルから900人以上の人々が参加し、世界のウチナーンチュが一同に会し、厚い親交を深めながら母県との絆を強め、新しい世紀の県系人社会建設と当会の一層の強化・発展に向けて、邁進する所存であります。
ご参列の慶祝団ご一行・来賓の皆様、会員一同のご健康と一層のご繁栄を祈念申し上げ、式辞と致します。