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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2011年9月9日付け

 イグアス移住地には戦後移民が圧倒的に多く、現在の日本に近い雰囲気、若い感じを受けた。いったい何が原因なのかと考えた結果、あちらが新しいというより、ブラジルのコロニアが古風なのだと思い至った▼ブラジルには戦前移民が約20万人も入り、錦衣帰郷叶わずに第2次大戦が起きたため、定着率は異例の9割以上となった。戦後も約5万人が入ったが半数は帰国したので、結果的に圧倒的多数は戦前派が占めた▼何度も書いていることだが、戦前派の中でも1926年から35年までの10年間に計13万人が集中しており、全移民の半数以上に相当する。これが「ブラジル移民の団塊世代」を形成し、現在に至るまでの気風の底流となった▼この団塊世代の家長は、日露戦争前後の国家主義気運の強い時代に人格形成した世代であり、明治の気風を強く残している。その雰囲気が子供や孫にも色濃く影響を残しており、大宅壮一のいう「明治の日本」を思わせる何かがブラジルコロニアの特徴となっている▼これは国際政治の流れとも密接に関係している。日露戦争で日本が勝利したことで米国内での黄禍論が高まり、1924年の排日法案となった。米国が禁止されたためにブラジル行きが本格化して「団塊世代」が流れ込んだ。ブラジルでも34年に日本移民の入国を制限する二分制限法が施行され、困った日本が送り先を探してパ国が候補となり、初の移住地ラ・コルメナが1936年に開設された。しかしその頃には満州移住が本格化し、南米行き移住が復活するのは戦後となった▼「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、そんな国際情勢があったから今のブラジルコロニアが生れた。(深)