ニッケイ新聞 2011年10月22日付け
文化村として知られ、常に地方の視点から中央に影響を与え続けてきた福博村(上野ジョルジ村会会長)が入植80周年を迎え、2日午前10時30分から福博村会会館で記念祭典を開催した。祭典には村民ほか、昔村に住んでいた人などが招待され、約400人が参集した。式典前の午前9時から、1970年に福博寺に建てられた鶏魂碑『萬鶏菩提』が村で唯一生き残った井野養鶏場に移されることになり、その遷座式が行われた。
鶏魂碑の遷座式
鶏魂碑の遷座式は午前9時から、旧福博寺境内で行われ、南米東本願寺開教監督部の川上寛祐書記が法要を行った。移転先の井野養鶏場主、井野一彦社長はじめ家族、上野会長、大浦文雄顧問ら村会役員たち約50人が参列、焼香し、井野社長が石碑の周囲にくわを入れた。井野社長は「我が社が続く限り、兄弟、子孫で鶏魂碑を守らせていただきます」とあいさつした。
『萬鶏菩提』と書かれた鶏魂碑は1970年、コロニアで養鶏が最も盛んであった時期にマレック病がまん延し、雛鶏が大量に殺処分されたことで、自らも大きく養鶏を営んでいた大浦文雄第4代会長の時代に建立され、建立式にはコロニア中から養鶏業者が参集した。
記念祭
田辺治喜氏の司会で午前10時30分から、記念祭が行われた。舞台上の来賓席に上野会長、在サンパウロ総領事館の成田強領事部長、国際協力機構の寺尾マルガリーダ日系研修班長、木多喜八郎文協会長、菊地義治援協会長、汎スザノ文化体育農事協会の森和弘理事長、スザノ市のヴァルミル・ピント文化局長、スザノ市議会のジョゼ・ランジェル議長、安部順二連邦下院議員、スザノ市管轄の上山フェリシオ軍警大尉、福岡県家族会の萩尾満元顧問11人が着席した。
1分間の黙祷の後、日伯両国歌を斉唱。上野会長が開会あいさつで福博村80年の略史を日伯両語で説明した後、来賓10人が祝辞を述べた。
安部下議は壇上、上野会長に連邦下院の表彰状を授与、福博村入植80周年の祝辞を述べた。
成田領事部長は「80年前の入植以来、若き青年たちを中心に、この地を農業と文化の理想郷にしようとの高い理念の下に福博村会が始まったと聞いております。長い歴史の中では戦争やブラジル農業・経済の変化など幾多の困難があったことと思いますが、今日の福博村会のすばらしい発展を見ますと、創立時の目標に着実に近づいていることを感じさせられます。今や、ブラジルの日系社会は、日本の良き伝統、精神を受け継ぎながらもブラジルの教育を受け、国際感覚に優れた若い世代の方々に受け継がれております。そのような若い世代の皆様が中心となって、農業、文化、スポーツの活発な活動を通じ、日伯文化の普及と交流がますます推進されることを願っております。最後に本席にお集まりの皆様方のご健康と福博村会の今後ますますのご発展を祈念しまして、私のご挨拶とさせていただきます」と述べた。
大浦顧問が行事の説明
村民から「福博村の骨格」と慕われ、在サンパウロ総領事館から「コロニアの貴重な論客」と評される大浦文雄顧問は、80周年の主行事について次のように説明した。
功労者表彰状は、以下同文ではなく一人ひとりの功績を日本語で書き記し、二世の上野会長が全員の功績を日本語で読み上げました。表彰を受けた9割の方は日本語が分かっておりますが、村会会員の半分は日本語が分からなくなってきております。日本語による表彰は80周年の今回が最後となるでしょう。
ニッケイ新聞を通じ、3ページすべて日本語の特集を組みます。これは75周年記念の時に作成した福博村の歴史を映像で残した3時間にわたるDVDと対を成すものです。村会会員全員に特集を一部ずつ配りますので、皆さん家に大事に取っておいてください。
会場入口に設営されたテント内に展示されてある海外写真集は、75周年の時に作成した福博村の歴史写真集から世界に向けて発展してきた意味を持ちます。三世、四世の時代になり、農村の過疎化に歯止めをかけることはできません。これから福博村が生き残っていくためには、村外に出た人々の協力を得ていかなければなりません。今回の海外写真集は日本がほとんどですが、これから5年たった時は、欧米など海外に見聞を広めた人がさらに増えるに違いありません。福博村は常に「外へ外へ」と活動の場を求め、「中央に」改革を迫ってきた歴史があり、文化村としての矜持を今に保ってきております。日本から日系社会を研究する大学教授らが毎年のように来伯し、必ずと言ってよいほど福博村に立ち寄って、1948年以来、村の青年たちが独自に調査して作成した統計を研究しに来ております。福博村を「心のふるさと」として残し、南伯に見られる欧米系コロニアのような美しい文化と福祉の花が咲く『荘園』を若い後継者の皆さんで建設していただきたい。
祝賀会
正午に鏡開きが行われ、萩尾さんの音頭で乾杯、「80」のロウソクが立つケーキをカットして祝賀会が行われた。福博太鼓部と迦楼羅(かるら)太鼓による太鼓、福博グループによる健康体操、剣道部による剣道、歌謡ショー、藤間流と竹風流門下生による日本舞踊が披露された。
青年会会歌を合唱
最後に昔の青年会音楽部により『まちのさかば』、『あのこがやまからやってくる』、『まきばのむすめ』、『ジャイアンツ』が歌われ、福博村が青年会、女子会によって最も輝いた戦後の1940年代後半を彷彿とさせた。植物学者の故橋本梧郎氏が福博の青年男女を集めて昆虫採集、植物採集を指導し博物研究会の基を作ったのもこのころであった。スザノの巨星、故横田恭平とともにコロニア詩壇の双璧とされる大浦文雄顧問が作詞し、その大浦農園に就職した〃新来青年〃故牧野展也が作曲した『福博二五青年会会歌』が歌われると、会場の観客が手拍子を打ちながら会歌を口ずさみ、若く、活気のあった往時をしのんで熱い涙を流していた。
会場には第6代村会会長(1974〜76)の杉本正さん(94歳、北海道出身)がなお健在で出席、70年に帰国した後、毎年正月の拝賀式に「つまみ代」として金一封を村会に送金し続けてきた萩尾さん(75歳、福岡県出身)の顔もあった。