ニッケイ新聞 2011年12月3日付け
祖父は1933年にトメアスー移住地に入植したアマゾン移民の先駆者の一人、父はパラー州で「ベレンのロベルト・カルロス」と呼ばれたテディ・マックス(Teddy Max)という血筋を持ち、日本で育った日系歌姫ケイシー・コスタさん(25、三世)。4年前に帰伯してサンパウロ市で音楽活動を始め、現在CDを制作中だ。大震災への追悼の想いを込めた自作曲も検討中で、「ぜひ、みんなに聞いて欲しい」と語っている。
父テディはLPアルバム4枚も発売したベレンでは有名な音楽家で、最も有名なヒット曲は『Ao Por do Sol』、持ち歌はカリプソからロマンチコまで数百曲もあったという。日本で12年間もショー活動をしてから帰伯し、〃ブラジルの日本〃サンパウロ市リベルダーデ区に住みながら、ベレンを初め各地でショーをして回っていた。4年前、54歳の時にステージの上で歌いながら突然死ぬという劇的な最後を遂げた人物としても知られている。
祖父の細川修さん(岐阜県出身)は1933年に家族と共にトメアスー植民地に入植した。南米拓殖による第12回移住であり、由緒あるアマゾン移民の先駆者の家系だ。
父が訪日して日本人相手にブラジル音楽のショーをしていた関係で、ケイシーさんはベレンで生れて6歳で日本に渡り、小中高校まで進み中退したので、日語会話は達者だ。父の英才教育で9歳から人前で歌い始め、12歳にして静岡県浜松市でのイベントで3千人の聴衆を前にして歌うという経験もしている。
4年前に帰伯し、日伯を往復する生活をする中、大震災をブラジルのテレビで見た。「怖かった。ホラー映画のようだった。日本があんなことになるなんて信じられない」。
作詞作曲も得意で、「生まれ育った日本が大好き。大震災を追悼する曲も今作っています」という。MPBやボサノバを歌うのが好きで、「ブラジル風にアレンジした『上を向いて歩こう』『涙そうそう』とか、ぜひ聞いて欲しい」と薦める。
目指す歌手は、ずばり〃ブラジルの歌姫〃エリス・レジーナだという。わずかにハスキーさがある独特の歌声には、思いのほか深い情感がこもっている。いわゆる日系訛りはなく、父譲りのポ語の発音は完璧で安心して聞ける。
現在、有名音楽家フィロ・マッシャードのプロデュースによるCDをレコーディング中で、日本語曲も収録する予定だという。将来的にはまた日本に戻って音楽活動する気持ちが強いが、「今はまだブラジルでたくさんのことを勉強したい」と考えている。
現在、毎週土曜日午後7時半頃からサンパウロ市レプブリカ区(Av. Ipiranga, 200)のコッパンビル下にあるレストラン「na copan」でライブをする。連絡先は電話(11・3791・6664)、メール(Keissyanne@hotmail.com)まで。