ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | ドトールソクラテス死去=サッカー史上に残る知性派

ドトールソクラテス死去=サッカー史上に残る知性派

ニッケイ新聞 2011年12月6日付け

 1980年代のブラジルサッカー界を代表し、世界サッカー史上でもまれな知性派プレイヤーとして知られるソクラテスが4日未明、腸内感染症による敗血症のために57歳で亡くなった。5日付伯字紙が報じた。
 ソクラテスは1954年にパラー州のベレンに生まれた。1974年にサンパウロ州リベイロン・プレットのボタフォゴでプロのサッカー選手としてのキャリアをはじめる一方、サンパウロ総合大学(USP)医学部リベイロン・プレット校で医学を専攻し、医師免許を取得した秀才で、「ドトール(先生)」の異名を取った。
 1978年にコリンチャンスに移籍するが、この時代が全盛期だった。長身で細身の体型からの『黄金のかかと』とも呼ばれた華麗な足さばきと頭脳的なゲーム統率力で、ブラジル代表(セレソン)でも主力選手として活躍。特にジーコ、ファルカン、トニーニョ・セレーゾとの『黄金のカルテット』を擁した1982年スペインW杯でのセレソンは、二次予選で敗退したものの、現在でもブラジルサッカー史上の伝説チームとして語り継がれている。
 また、1980年代前半の軍事政権崩壊時には民主化を促進する活動家としても活躍し、82年にはコリンチャンス内に民主化運動団体を立ち上げ、83〜84年の「ジレタス・ジャー」(大統領を国民の直接投票で選ぶキャンペーン)にも参加。サッカー界代表として国民の啓蒙に務めた。
 86年のW杯出場後、90年に引退し、晩年までサッカー評論家として活動していたが、長年の喫煙と飲酒の影響で体調を崩し、今年に入り入退院を繰り返していた。
 ソクラテスの死に際しては、サッカー界のみならずジウマ大統領やルーラ元大統領など政界からも弔辞が寄せられ、国民の記憶に残るサッカー選手としての業績と共に、サッカーだけに止まることのなかった社会的な影響力を称えている。