ニッケイ新聞 2011年12月13日付け
ピノチェト大統領による軍事独裁政権時代のチリに、ブラジルが多額の資金援助を行っていたことが明らかとなったと、12日付フォーリャ紙が報じている。
同紙によると、このたび見つかった、チリのサンチアゴにあるブラジル大使館とブラジル外務省との間で1973〜76年に交された機密電報266通の中身は、1973年9月11日にクーデターを起したピノチェト政権への援助を示唆する内容だという。同年11月には、チリからの「重要な局面」との電報に、ブラジルのエミリオ・メジシ軍事政権が5千万米ドルの資金援助を行っている。
また、1976年にドイツを抜いて同国の銅の最大の輸入国になったのも、チリに対する財政援助の一方策。また、3225人の死者と行方不明者を出したクーデターを批判するメキシコやポーランド、ユーゴスラビアのような国に対し、チリの立場を代弁する任務も引き受けていた。当時軍事政権下にあったラ米諸国の中において、政治逃亡者を排斥するための通信網構築もブラジルの役目だったという。
このチリとの交友関係には、1968〜75年にチリ駐在大使だったアントニオ・カンジド・ダ・カマラ・カント氏の存在が大きいという。同氏はチリの軍部を「私の軍事上の友人」と呼び、「共産主義を徹底的に打倒するために戦っている」と当時のブラジルとチリの行為を礼賛していた。
また、ピノチェト氏が倒したアジェンデ社会主義政権時代には、ブラジル軍事政権による政治犯への拷問を批判する同政権と、同政権に従ってブラジルを批判する国営放送への抗議も度々行っている。75年に退任する時には、チリ軍から名誉軍人の称号を与えられ、ピノチェト氏の主宰で最後の晩餐会まで催されたという。