真相究明委員会(独裁軍事政権時代の人権侵害について調査を行う政府の組織)リオ州小委員会は16日、映画監督の故グラウベル・ロッシャ(1939―1981)が軍事政権時代、軍部の暗殺計画のターゲットにされていたことを証明する文書を公開した。
グローボ局の報道番組「Jornal das Dez」が独自に入手した文書は空軍が作成した報告書で、グラウベルは「ブラジルの左翼運動のリーダーの一人で、ヨーロッパで反ブラジル政治のキャンペーンを行った人物」とされている。文書の1ページ目には、手書きの文字で「morto」(「死んだ」の意)と書かれている。軍政時代の抑圧に関わっていた人物の一人によれば、暗殺計画の標的となっていた人物の文書には手書きで「morto」と書くのが当時の慣例だったという。
グラウベルは、60年代当初に始まったブラジル映画運動「シネマ・ノーヴォ」のけん引役の一人。いずれも50年代に始まったイタリアのネオリベラリズモ、フランスのヌーヴェルヴァーグの影響を受けた、新しい映画の表現方法を模索して起こったムーブメントで、「手にカメラを、頭に思想を」をモットーとしている。
リオ生まれで、子供の頃に家族でサルバドールに移住。キリスト教系の高校に通いながら脚本を書いたり芝居に出たりし始め、才能を開花させた。ラジオ番組や演劇、アマチュアの映画集団、学生運動にも参加するようになる。
バイーア連邦大学の法学部に入学した年(1959年)に短編映画の制作を開始。3年目に中退して地元紙の記者として働き始め、映画のコラムも執筆した。62年に長編作品を発表。映画製作会社を造り、革新的な映画制作活動を続けた。
中でも「黒い神と白い悪魔」(63年)、「狂乱の大地」(67年、上映禁止されるも、後に条件付きで公開された)、「O Dragão de Maldade Contra o Santo Guerreiro」(69年)の3作品は、社会への批判が強く現われた作品として有名だ。その間、その才能が評価され、招待されてヨーロッパでの映画制作にも参加した。その一つが、ジャン=リュック・ゴダールらが監督した映画「東風」への出演だ。
1964年に始まった軍事政権に「破壊分子」として見られるようになり、時代に絶望して71年に自主的に亡命。アメリカのコロンビア大学で論文を執筆、チリで亡命中のブラジル人を描いたドキュメンタリー映画を制作した後にキューバに1年滞在した。その後ウルグァイ、フランスに渡った後、76年に帰国した。
常に問題意識を持ちながら映画について書き、考え、その考えを表現する芸術を模索し、現実を批判的に見る新たな美学を打ち出していたグラウベルは、時代の枠に収まらないポレミックな映画監督だった。1981年に、42歳の若さで気管支肺炎で亡くなった。(16日付G1サイト、wikipedia「Glauber Rocha」項、UOL Educação「Glauber Rocha」項より)
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