ニッケイ新聞 2010年1月1日付け
受賞者の陰には、それを支えた無数の縁の下の力持ちがいる
毎年ブラジル国内でも何人かの受章者がある日本政府の叙勲。現在までにどれだけの日系人が勲章を受けたのか、調べてみると800人以上に上ることが分かった。102年分(1908年から2009年まで)の勲章―。コロニアで指導的な立場にあった人、日伯交流の推進者、教育、文化、スポーツなど様々な受章分野は、日系社会1世紀の軌跡と重なり合う。これらの勲章はまた、受章者個人だけでなく、ブラジル日系社会全体に贈られたものだと言えるだろう。2010年の新年を迎えるにあたり、これまでに判明した受章者一覧を掲載する。(編集部)(注=一覧表中の空欄は不明なもの)
コロニアがまだ在伯同胞社会と呼ばれていた戦前の1933年、ともに現在「移民の父」と呼ばれる水野龍と上塚周平が勲章を受けた。ブラジル日本移民25周年の記念に行われたもので、在伯邦人としては初めての受章だった。
その後、戦中・戦後の混乱期を経て再び在伯邦人への勲章授与が復活する。最初は57年、急逝した下元健吉コチア産組専務理事へ死後叙勲。移民50周年の58年には山本喜誉司文協初代会長、南米銀行の宮坂国人会長たちへ。そして現在までに、800人以上の一世、二世(外国人叙勲を含む)が勲章を授与された。
最多は北海道出身者
受章者を出身県別に見ると、最も多いのは北海道で53人。次いで移民大県の熊本(49人)、福岡(47人)、広島(43人)などが続く。福島(38人)、東京、長野(37人)、高知(31人)の出身者も多い。
女性で初めて受章したのは、戦中戦後の邦人救援・福祉活動に尽力した渡邊トミ・マルガリーダさん(68年)。73年には「日伯料理と製菓の友」で有名な料理研究家の佐藤ハツエさんが受章している。女性の受章者は、全体の5%程度にあたる約40人。
このほか、ブラジル生まれの二世が30人以上外国人叙勲を受けているのもブラジルの特徴だろう。平田進元連邦下議、井上ゼルバジオ忠志・元コチア産業組合中央会理事長など、日伯交流、コロニアの発展に尽力した人たちの名が並んでいる。
もちろん、ここに掲載した受章者の陰には、これらの人たちを支えた多くの関係者の存在があったことは言うまでもない。「皆でもらった勲章」――、授与式の場で受章者たちが話す感謝の言葉の通り、800余人の一世、二世たちが受けた勲章はまた、ブラジル日系社会1世紀の歩みを象徴している。
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各勲章の正式名称は次の通り。
【旭三】勲三等旭日中綬章【旭四】勲四等旭日小綬章【旭五】勲五等双光旭日章【旭六】勲六等単光旭日章【旭小】旭日小綬章【旭双】旭日双光章【旭単】旭日単光章【瑞中】瑞宝中綬章【瑞小】瑞宝小綬章【瑞双】瑞宝双光章【瑞一】勲一等瑞宝章【瑞二】勲二等瑞宝章【瑞三】勲三等瑞宝章【瑞四】勲四等瑞宝章【瑞五】勲五等瑞宝章【瑞六】勲六等瑞宝章【宝五】勲五等宝冠章【宝六】勲六等宝冠章【紺綬】紺綬褒章【黄綬】黄綬褒章【藍綬】藍綬褒章
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【編集後記】ブラジル日系社会百年の歴史の中で、800人を超える日系人が日本政府から勲章を受けた。紙面の都合から非日系のブラジル人の受章者は掲載しなかったが、これを合わせれば1千人近くなるのではないか。日本国外でこれだけの受章者がいる国は少ないだろう。
調査にあたっては国内の在外公館の協力に加え、コロニアで発行された記念誌等を参考にした。出身県の不明な人もあり、また、氏名の誤記や、弊紙が把握していない人もいるかもしれない。情報を持っている読者の皆さんの協力をお願いしたい。
連絡はニッケイ新聞編集部(11・3208・3977、まつだ)まで。