南麻州カンポ・グランデであった沖縄移民百周年記念行事で、数年前に本紙で働いていた元研修記者に出会った。今は日本の高校で歴史を教えている。ウチナーンチュの熱い集いを見ながら、「いやー、すごいですね!」と目じりにしわを寄せて笑う。わざわざ夏休みを利用して訪れ、この歴史的行事に馳せ参じた▼そんな〃親日系家〃との出会いに嬉しくなり、「授業でコロニアのことも教えているの」と尋ねると、「日系社会のことも扱うし、外国人を授業に呼んだりする」という。生徒は当然、教師の生の体験談に食らいつく。ブラジルに興味を持つ子も増えるだろう▼そう言うと、彼は「でも色々難しくてね」と言葉を濁した。一部の保護者が「外国のことなんて話されると、子供が留学したがるからやめてくれ」と苦情を寄せ、保守的な校長が彼の指導を制限するのだとか。「もう窮屈だ。仕事をやめてブラジルに来たい」。そう漏らす彼の後姿に、ユニークな人材をつぶす日本の教育事情を覗き見た気分だった▼子どもにより多くの可能性を見せて自分で選ばせるより、自分に都合の良い鋳型に彼らの未来を流しこみたい親が多いのだろうか。こうした〃教育〃がまかり通るから、日本中が叫ぶ「グローバル人材」が育たないのだ。彼のような人材をつぶすことに何のメリットがあるのだろう▼来伯する政治家らが「日伯の絆」を強調しながらも、デカセギ子弟がバイリンガル人材として日本社会で活かされることは少ない。県人会の大半も母県との交流が細々とした草の根レベルで止まるのは、国民側に「冒険したくない」という暗黙の抑制があるからなのかもしれない。(阿)