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連載小説=子供移民の半生記=家族みんなで分かちあった=異郷の地での苦しみと喜び=中野文雄=45

 さあ大変。佛教会の会場を整える準備が始まった。戦時中、使用禁止されていただけ埃がひどかったが、一言も不平を言わず、黙々と働いてくれたそうだ。皆家では息子や娘に指図しながら、自分は動きもしないだろうという中老過ぎの者たちだったが、佛様をお仰ぎできる嬉しさに、脇目もふらず、三日がかりの腰弁当で見違えるように場所を整え、床もピカピカになっていた。旧校舎の教室は広々としており、大工の心得のある方が器用に、教壇であった場所に立派な仏壇を作っておられた。程なく用意万端整った。
 おやじはサンパウロに用事があったので、報告かたがた東本願寺に出向き、用意万端整った旨を伝えると、輪番様は非常に喜び、要望の佛具は一切整い次第、お手元に届ける手配もされてある。10日か15日以内に発送できるという返事をいただいたおやじは喜びに包まれ帰途についた。
 帰ってきたら即、首を長くして待っておられた信者達にその旨報告した。すると、大変な喜び。阿弥陀様も佛具も届かぬ前に、早々とお線香やろうそくがあげられ、気の早い人はお花まで供えている。お祭り騒ぎの様な一幕であった。後は心静かにサンパウロから荷物が届くのを待つばかりだ。

 第十三節 待ちに待った初法要の日

 古式ゆかしく初期移民たちがめいめいに、家に伝わるご先祖様のご位牌を慈しむかのように大切に胸抱いて、喜びに満ちた表情を浮かべて参詣する。それに応えるかのようにサンパウロから届いた如来様や佛具も今日の良き日を祝福する様に感じる。大勢の信者の方々も共に喜び、小なりとはいえ、ブラジルに移民して以来待ち望んでいた公式の布教所。
 それも自ら額に汗して築き上げた、物、心、共に、自分たちそのもの。魂霊のこもった神聖な布教所に、皆喜々として御先祖様の御位牌を飾っていく。
 お坊様のありがたい御法話をいただいた。「御先祖様も、皆様方の唱える念仏に供養され、開拓半ばに無念の思いを残された先亡者の御魂も今日の日を待ち望んでおられた事だろう」。南無阿弥陀仏の大合唱に参詣も涙する。今日の良き日をご先祖様と共にお迎えできた事は、無上の喜びであった。
 法要が済み、小さな子供達が今日の喜びをこめて色とりどりの風船を放つ。大空に舞い上がる姿には、天上の浄土に帰られる御霊を送る風情がある。喜びを分かち合い、満ち足りた想いで家路についた。
 だが、思想の溝は深かった。もしやとの願いはとぎれ、悲願であった融和の道は開けなかった。しかし、ドゥアルチーナにいる日本人の大半の方々に喜ばれたのだ。今日はこれで良しとしよう。その溝の深さは、サンパウロ挙げての喜び「サンパウロ400年祭」の時にも歴然として表れた。
 市に日本人移民の感謝の意を表す為、公園の中心に噴水塔を設置するという「負け組」の提案には、事が事だけに「勝ち組」も賛同はするものの、至って小規模の金額しか集まらず、予定の物を寄贈するため、「負け組」の親方らは思い知らされたであろう。
 「400年祭のミサ」にも「勝ち組」は午前中参詣。「負け組」は昼後。先に述べた佛教会を無視したことへの反動を思い知らされた事だろう。それ程までに思想の対立は深く、日本人としての信念の深さを感じる。