ニッケイ新聞 2010年1月19日付け
今月16日、最後の被害者となる33人目の遺体が発見された―。元旦未明土砂崩れが発生、日系人3人を含む多く犠牲者を出したリオデジャネイロ州イーリャ・グランデのバナナウ海岸では、ポウザーダを経営する沖縄出身者子弟たちが悲しみを乗り越え、今後の復旧へ向けて、力を合わせていた。(リオ発=長村裕佳子記者)
イーリャ・グランデの中心地ヴィラ・ド・アブロンを基点に、船で島の周囲を回る。他の海岸のどこにも被害の様子は見られない。この時期、多くの観光客で賑わうが同地だが、どの海岸も観光客の姿は見られず、ひっそりと静まり返っていた。
同地から島沿いに船で西方へ約1時間移動した場所に事故のあったバナナウ海岸がある。
かつて多くの沖縄移民がイワシ業を営み、現在はその子弟らが営むポウザーダが10軒ほど点在する。
毎年7月にはアングラ・ドス・レイス日系クラブ主催の「日本祭り」が行われる場所でもある。
事故現場は同海岸の西端にある。2週間経った今もなお、ポウザーダや住居が土に埋もれており、復旧活動は進んでいないように見える。
取材に訪れた16日、救急隊員による捜索活動により、最後の行方不明者の遺体が発見された。
事故で孫の波田間ウェリントンさんを失ったフミ子さん(84、二世)は、「(事故後)サンパウロの親戚皆が心配して島に駆けつけてくれた」と涙を堪えながら話す。
同クラブ会長を務める甥の波田間義男さん(52、三世)がそっと寄り添った。
同海岸の入口に建つポウザーダ・ド・プレットの経営者で同クラブの同祭実行委員長も務める仲真次キヨシさん(50、三世)は、「現在は事故直後で混乱しているが、同祭が開かれる7月には多くの観光客で賑わえるようにしたい」と復旧に対する思いを語った。
〃誤解〃を招いた報道=地元住人の不満つのる
「イーリャ・グランデで土砂崩れがあり、観光客に直ちに島から退去するよう勧告した」
オ・グローボ紙2日付けに掲載されたセルジオ・コルテス・リオ州保健防災局長の発言が地元で波紋を呼んだ。
「まるで島全体で事故が起こったかのような報道だ」―。各海岸でポウザーダ、売店の経営者からは不満の声が募る。
実際に市当局から、観光客の避難勧告が出されたのはバナナウ海岸だけだったが、まるで全島に出されたかのような報道が大々的に行なわれ、全島のポウザーダにキャンセルの電話が相次ぎ、大変な損害になった。
すでに検討会議も開かれ、同紙に再度の報道を求める動きも高まっているという。
マガリケサーバ海岸で上地カルメンさん(55、三世)が営むポウザーダも閑古鳥が鳴く。「ここは何も変わってないのに。メディアが驚かせて、客を追い払ってしまった」と表情は暗い。
ポウザーダ経営のグラッサ・ブラスさん(44)は「今こそ力を合わせ乗り越えなければ」と協力を呼びかけていた。