ニッケイ新聞 2010年1月20日付け
【既報関連】12日に起きたハイチ地震は、国連平和部隊の働きや首都市街化計画も葬ったと19日付伯字紙が報じた。
国連平和部隊の正式名は国連ハイチ安定化派遣団(Minustah)で、同国の政治的、社会的混乱沈静化のため、2004年に創設。
同派遣団は、ブラジルなど17カ国の兵士7031人と警官2034人の制服組、事務官や現地職員など1914人から成っていたが、今回の地震では、ブラジル兵17人を含む47人が死亡、行方不明500人という国連史上最大の被害を受けた。
また、平和部隊がファヴェーラで暗躍していたギャングを逮捕し、治安も改善していたのに、刑務所が地震で崩壊し、古巣に戻ったギャングが強奪などを再開。ブラジル人設計士らが3年かけて進めていた首都市街化計画も、建造物の半分が全半壊する惨劇で水泡に帰した。
14日付G1サイトなどには、昨年の台風被害から回復中だった同国の惨状は地震前からで、上下水道はおろかトイレもない家、銃弾の穴だらけの壁、物々交換で生きるなどの報告もある。
9割崩壊の町もあり、国連事務総長は18日、同派遣団への兵士と警官計3500人増員を求めたが、同国へ平和部隊派遣に至った理由は何か。
同国の政情不安の歴史は古く、コロンブスによる発見後、島はスペインやフランスの占領下に。アフリカからの奴隷により、林業やサトウキビ、コーヒー栽培で繁栄した島では、1789年のフランス革命勃発後、1791年に黒人奴隷や混血の自由黒人が蜂起した。
反乱はナポレオン派遣軍に鎮圧されたが、1803年に英国の支援を受け仏軍駆逐。翌年独立を宣言するも国際社会が認めず、フランスへの賠償金支払義務が生じて長年の困窮の元となった。
その後も反乱や国家分裂を繰返し、賠償金支払や借金に苦しむ同国占領へのドイツの試みなどもあり、1915年に米国が債務返済を口実に海兵隊を派遣。米国軍政は34年に終ったが、経済苦境は続き、46年と56年にクーデター。40年間暗黒時代が続いた。
民主主義の芽生えは1987年の新憲法制定。4年後に選挙選出の大統領が就任したが、その年クーデターが起き、94年まで軍政が続いた。
その後の民主化で国軍解体が進む中、2004年再発の反政府運動が鎮圧出来ず、国連の多国籍暫定軍に続き、平和部隊派遣に至ったものだ。
地震後は米国が1万人超の兵士を派遣したが、治安維持は伯軍将校が指揮する国連部隊の管轄。同部隊への伯兵士派遣追加は、国連からの正式要請を待って決められる。