ニッケイ新聞 2010年2月4日付け
本紙提携紙の西日本新聞が現在、九州地域で働く外国人を取材した連載「リンジンとの距離 働く外国人を訪ねて」を掲載している。福岡市在住のブラジル人を取り上げた第3回「小さなブラジル」を転載する。
【西日本新聞】寒波に襲われた街が冷え込むにつれ、店の中は逆に熱く火照っていく。サンバのリズムに客が総立ちでステップを刻む。歓声と笑い声が渦を巻く。「ここは小さなブラジルね」。陽気にはしゃぐ若者たちをながめ、日系3世のドナ・セリアさん(62)が目を細める。
2年前、福岡市中央区今泉に開店したブラジル料理店「ドイス・ラゴス」。サッカー人気もあって日本人客は少なくはないが、異国で暮らすブラジル人たちの集いの場でもある。料理を作るセリアさんはいつも、おおらかな笑顔で仲間たちを迎える。「お母さんのような人」と語るのは、妹とその恋人を連れて来た日系3世、マスキ・ウィルソン・タダオさん(27)=福岡県須恵町。来店するブラジル人たちの共通の思いだろう。
タダオさんは8カ月前まで、群馬県内の自動車部品工場で働いていた。1日2交代。残業は月に140時間を超えたが、給料は高かった。景気悪化に伴う人員整理で多くの同僚ブラジル人とともに解雇され、今は須恵町のコンビニ向け食材工場で働いている。収入は半減した。
工場では15人のブラジル人が日本人と一緒に働いている。「以前住んでいた所では、〃変な外人〃みたいな周りの視線が嫌だったけど、ここではそれがない。九州の人は親しみやすい。できればここで暮らして、日本の女性と結婚できたら」とタダオさんは朗らかに語る。だが、話が進むうちに、本音もちらほら交じる。「日本人は表現があいまいで、心の奥が分からない。こちらが感情をオープンにして近づくと、離れていくみたい」。微妙に変わった場の雰囲気を察したかのように、「これも食べてみて」とセリアさんがサービスのパスタを運んできた。
週末、この店でアルバイトしながら、仕事を探しているマルシアさん(38)=同市中央区=は18歳で日系人と結婚、海を渡ってきた。しかしその後、別居した。夜の繁華街で11年間、ホステスやダンサーとして働き、生計を立ててきた。
「いい人、悪い人、いろんな人がいた。でも、もうおじちゃんたちの相手は嫌です。それに体力的にもきつい」
仕事はなかなか見つからない。アパートで一人暮らし。「つらいのは本当の友だちがいないこと。でもここに来れば、セリアには何でも話せる」。ブラジルに帰るつもりはないという。「ここには自由があるから」
午前0時を過ぎたが、客は途絶えない。セリアさんの表情に疲れが見え始め、オーナーが帰宅を促した。エプロンをたたみ、店のそばのワンルームマンションにひとり、帰る。
セリアさんが初めて来日したのは10年前。福岡県で暮らす叔父の介護が目的だった。6年後に叔父をみとって帰国したが、「ドイス・ラゴス」がオープンする際、オーナーから声をかけられて再来日した。日本ではこれで8度目の冬を迎えたことになる。
「若い人たち、みんながんばっています。それに、日本はいいですよ。安全でねえ。何でもそろっているでしょう」
深夜テレビを少し見てから、セリアさんはベッドに入る。ブラジルに残った夫は、好きな日本に来た自分を応援してくれている。長電話する日本人の親友もできた。「あと少し、日本でがんばってみよう」。心の中で時折そうつぶやいて、目を閉じる。