ニッケイ新聞 2010年2月9日付け
52年前、1958年のブラジル日本移民50周年の折にアンドウ・ゼンパチさん(1900―1983、本名=安藤潔、広島)が発表した『二世とニッポン語問題~コロニアの良識にうったえる』という小冊子は、いま読んでも「その通り」と納得する部分が多く、再読に値する文書だ。アンドウ氏は東京外語大ポ語学科の一回生で、1924年の昭和天皇ご成婚記念事業「大毎移民団」の移民監督として渡伯し、戦前の日伯新聞編集長などを経て、戦後はサンパウロ人文研の主任研究員として調査活動をし、1967年2月に帰国した。『ブラジル史』(岩波書店、1983年)などの著作もある知識人だ。もちろん、ここで問題にされている外国語教育令などの法令も現在とは状況が違う点もあるが、二世や日本語教育に関する考え方全般には高い先見性が感じられ、いまも学ぶべき点が多いようだ。安藤家とサンパウロ人文科学研究所の許可のもとに掲載し、百周年後のコロニアの将来を考えるための資料としたい。なお、表記のみ一部現代式に変えたが、それ以外は原文のまま。(編集部)
【はしがき】この2年来、二世とニッポン語の問題が盛んに論議されるようになって、わたしも、これに強い関心をもつひとりとして、しばしば、自分の考えを邦字新聞に発表しました。いま、それらをまとめて新たに小冊子としたのは、この問題にとってもっとも重要な、外国語教育令の改正と二世用日語読本の作成を、できるだけ早く実現させるために、コロニアの積極的な協力をうながしたい一念からにすぎません。
この冊子にまとめたものは、一年半の間に、別々にかいたものですから、あちこちに、重複したところがありますが、お許しください。なお、この冊子は、ブラジル人の有識者にうつたえるために近々、ポルトガル文にホンヤクして出すことにしています。地方の市長、警察署長、グルーポの校長先生、視学などへ配っていただきたいのです。
ことし、ニッポン移民のブラジル移住50周年を迎えるにあたり、二世問題を慎重に考えることは大いに意義のあることと思います。
1958年2月
二世と日本語の問題=ニッポン語教育の理念
【本文】二世がニッポン語を話し、なおかつ、よみかきができるようになってほしいという気もちは、いわば民族的な文化本能とでもいえるようなもので、民族がその文化の価値を意識することによって、それを子孫につたえたいという願望なのである。
しかし、民族文化の子孫への伝承が、なにかにさまたげられて思うようにならないと、それをおしのけようとする抵抗がおのずとおきてくるものである。
さいきん、コロニア(コロニア・ジャポネーザの略=日系人社会)において、二世へのニッポン語教育ということが、ゆゆしい問題として、とりあげられつつあることは、ニッポン語の子孫への伝承が、一世の努力にかかわらず、期待するように行われないことによる民族的な不安の現れである。(つづく)