ニッケイ新聞 2010年2月12日付け
それにもかかわらず、二世の人間像についての研究は、まだ、手がつけられていない。今日までにも、二世について、いろいろ論議されてはいるが、二世の性質や考え方などの常識的な非難にとどまって、社会心理学的な立場からのペスキーザ(調査)をもとにしてなされるところまできていない。
わたしは、過去の一年間コロニア各地の二世と接触する機会がえられ、二世とはどういうものかということの観察に大きな興味をもつようになった。しかし、わたしは、社会心理学などわからないし、どういう方法で、かれらを調べたらいいのかも知らない。ただ何冊かの本をよんでえた知識をもとにして、自分なりに観察し、調査したまでのことであるから、いままでの二世論より、一歩進んでいるとしても、やはり常識的なものにすぎないだろう。
しかし、これが、きっかけになって、社会心理学的な二世研究が盛んになればケッコウことだと考えて、一つの軽いエンサイオ(試論)として、かいて見ることにした。
二世はブラジルで生れたのだからブラジル人だということは、法律上その国籍がブラジル人であるということなのだが、だから、二世の人間像は、ブラジル人のそれと同じものだとはいえない。また二世はニッポン人の子どもであるから、かれらの人間像はニッポン人のそれであるということもできない。ここに二世という人間像の特殊性があるのだ。
二世は、すべてのものがニッポン人の子として生れニッポン人的人間像の所有者である両親によって、育てられていく。だから、生れたトタンに、ブラジル人になった二世といえども、かれらが、生れたシュンカンから、身につける文化、すなわち生活様式は、文化の根本的な、あるいは基礎的なものであるコトバを始めとして、その他のあらゆるものが、ほとんどニッポン的なものによって形成されていくのだ。
したがって少くとも二、三歳までの二世は大部分がニッポン的な人間像を形成する運命におかれている。この傾向はニッポン人だけによってつくられているいわゆる「植民地」的な集団社会ではずつと強く、その集団がバストスやレジストロやアサイなどのように大きな所になると、二世の人間像はグルーポ(四年制小学校)にあがるころまでは、ひたすらニッポン的にのみ形成されている。
二世の子ども時代におけるブラジル文化との接触は、多くの場合、母親のちぶさをはなれて、家の外でブラジル人の子どもとあそぶようになってからだが、少し大きなニッポン人植民地では、グルーポにあがるまで、ブラジル人の子どもとあそぶおりがないというのもある。
まあ、こうしてグルーポへ通うようになって、すべての二世がブラジル人の子どもや、先生からポルトガル語を初め、その他のブラジル的な文化を物の考え方から身ぶりや態度のようなことまで、見おぼえたり、教えられたり、しつけられたりするようになるのだ。こうして、それまでに築かれてきたニッポン的な人間像は、たとえば、今まで一つの形につくってきたネンド細工を、こんどは、色のかわつた別のネンドで、前のといくらかけずづりとつて、うめたり、またはつけたりして形をかえたりするように、ブラジル文化によって、次第にその形象をかえられていくことになる。(つづく)