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ブラジルでサッカー武者修行=高野さん「気性が荒くなった」=池上さん「夢はプロ選手」

ニッケイ新聞 2010年2月23日付け

 夢はプロサッカー選手!――。日本を飛び出し、サッカーの本場ブラジルで武者修行する二人の日本人選手が今年2月、所属するサンパウロ州3部リーグ(セリエA3)のチーム「FERROVIARIA」とプロ契約を結ぶに至った。ブラジルの地で活躍する彼らの姿を追った。
 高野真凜(まりん)選手(18、東京)のサッカーデビューは12歳と、決して早くはなかった。中学の部活動でより熱が入り、高校に入学するも「自分のやりたいことがなかった」と早々に退学、ブラジルに活路を求めた。
 両親、特に父親は大反対、目も合わさず半年以上も口を聞いてもらえなかった。しかし、地道に練習する姿が父親に通じ、今では一番のサポーター。「何年でも挑戦していいよ」と見守ってくれる。
 16歳で飛び込んだブラジルでは早速、本場の洗礼を受けた。小さな頃からボールをいじる彼らのレベルは、桁違いに高く、サッカーが違いすぎた。
 「後悔した」と語る高野選手は、プレースタイルに慣れるまで1年ほどかかった。悔しい思いをバネに、夜になると一人でこっそり練習に明け暮れ、とにかく毎日サッカーのことを考えた。そのお陰か、メキメキと腕を上げた。
 昔は気が弱く、虐められるほどだったが、2年の滞在で強くなったと語る。爛々と目を輝かせながら、今では「気性が荒くなった」と言い、「あと1、2年いて、Jリーグで活躍したい」と意気込みを語った。
 池上俊也選手(19、和歌山)は小学1年からクラブチームに所属しサッカー漬けの毎日を送った。中学時代、日本サッカー協会の選抜「ナショナルトレセン」に選ばれ、さらに三つの高校からの推薦があったが、それらを全て蹴って15歳で渡伯を決めた。
 ブラジル人の印象を「身体能力が違う」とし、「日本のサッカーは先生が教えるが、ブラジル人は、どんな状況でも何をすべきか、自分で分かっている」と語る。
 試合に出られない時が一番悔しいと語る池上選手は「パラナ州のプロの大会で優勝できた時は、本当に嬉しかった」と笑顔で語った。「あと1年はブラジルにいるつもり。夢はもちろんプロ選手。もっと上を目指し、日本でもブラジルでも、試合に出られればどこでもプレーしますよ」と熱く語った。
 二人を世話しているのは「日伯フッチボール」(本社・静岡県静岡市)の納屋宣雄さん。1983年からブラジルに〃卵〃を送り続けた。延べ500人のうち、1割がプロとして〃孵り〃、その中でもJリーグの選手として契約できるのは1割とか。二人を見て納屋さんは「どこまでやれるか楽しみだよ」と期待を込めていた。