ニッケイ新聞 2010年3月13日付け
先の日曜日。フエイラで果物や鰯を求め、圧力鍋にトマトと玉ねぎをいっぱい入れて柔らか煮を造る。これを肴に好物の黒ビールを傾けながら「顔」を繙く。文は旧日伯新聞の編集長・一百野勇吉氏。写真が大沢道生氏。真っ黒な表紙に「顔」の字だけが金色の装丁は画家・田中慎二さん。もう25年も昔の本だが、切れ味がよく鋭い文がいい。移民の表情が色濃い写真も傑作に尽きる▼コロニアの隠れた名士ら100人のポートレイトを撮影し、会見記を掲載する企画だが、旧日伯の土曜版をも飾り人気だった。名文の一百野氏は、序文で「読売新聞夕刊に連載された「顔」はその人物をとらえて重厚―」と記しているが、あの読売の記事は独創的で顔の題字が毎日変わり、音楽家ならそれらしく、芸人だったら芸人風にの出 色ものだった▼登場する人物も多くが鬼籍に入り、健在なのは取材のときに30代や40代の人々である。曹洞宗の総監・新宮良範師や歌人・徳尾渓舟、農協の堀清さんらも草葉の陰へ。一百野氏の「死とは」に―大和尚は「冬になって木の葉が散り落ちるようなもの」と笑顔で淡々と▼この渋くも光り輝く「顔」には、熊谷泰志氏もいる。岩手県の「リングの怪童」は東農大を中退しプロへ。ライト級3位になりチャンピオン石川圭一に敗れブラジルに渡る。若い頃は走って走ってのトレーニング。サンパウロでは7戦全勝。引退後は「煎餅屋」になり、後進の育成に尽力したが、脳溢血で倒れ不帰の人にー。享年77。合掌。9日付け「道庵」のルビは「どうあん」の誤り。訂正しお詫びします。(遯)