ニッケイ新聞 2010年3月26日付け
静岡県静岡市在住の大森弘さんは11日、かつて自分の会社で8年間働いた牧内富男さんを尋ねてレジストロを訪れた。大森さんは1962年、21歳の時、いったん移住者としてイタケーラに入植。3ヵ月後、同船者を頼って南麻州のドラードスへ移転し、米作りに専念した。
ブラジルで能力を発揮し、大きく羽ばたく人も居るだろうが、自分にはその能力が無いと思い1965年、日本へ戻った。1970年には通代さんと結婚し3人の子供に恵まれた。水道の配管工事の会社「装商」を創立、長年盛業を続けたが最近、他人に事業を譲った。
牧内富男さんは今のSABESP(サンパウロ州水道公社)の前身、SANEVALEで働いていたが日本で働くことを決意し旅立った。ブラジルで携わっていた水道関係の仕事がしたくて、仕事を探し、静岡県三島市でその種の仕事に就いたが3回程転職した後、大森さんの会社に就職した。
8人居た従業員の中、ブラジル生まれは牧内さん一人だった。大森さんは「牧内さんは頑張り屋で良く働いてくれたが理屈ぽかった」と評し、「自分も若い時ブラジルに来た経験があるから、その点を含めて彼を見ていた」と語った。
一方、牧内さんは「大森さんは、厳しかったけれども日本の習慣はそんなものだと思い、そう苦にはならなかった。機械の操作を始め色々な仕事を覚え、とても良かったと思います」と語った。
大森さんがブラジルを訪れるのは、今回で4回目で妻や子供と一緒に来たこともある。「ブラジルに来ると若返るんです。若い頃この国で過ごした3年間が懐かしいからでしょうか。ブラジルの地方はのんびりしていていいですね」と大森さんは語った。
大森さんはサンタカタリーナ州や南麻州カンポ・グランデ、ドラードス、パラ―州ベレーンを旅し、6月に日本に帰る。(金子国栄さん通信)