聖週間はどう過ごす?=食事制限に受難劇鑑賞=肉食より魚の特殊な週
ニッケイ新聞 2010年4月1日付け
3月28日の〃棕櫚(しゅろ)の主日〃から始まった聖週間も、最後の晩餐がもたれた〃洗足の木曜日〃〃愛の戒めの木曜日〃を迎えた。
北半球でいう春分の日の後、最初の満月後の日曜日がイースター(パスコア、復活祭)で、キリストがエルサレムに入ったことを記念する〃棕櫚の主日〃からの1週間を聖週間と呼ぶのは、キリストの生涯で最後の週に起きた出来事を記念し、その意味を考えるため。
キリストが十字架で死ぬ前夜、弟子達と共に最後の食事をした際、自らが水の入った器と布を持ち、汚れた弟子達の足を洗って回ったという聖書の記述から、復活祭前の木曜日には〃洗足の木曜日〃の名が付く。
この日、誰が一番偉いかと言い争う弟子達に、「一番えらい人は一番年若い者のようになれ」と教えたキリストは、イスカリオテのユダの裏切りと、ペテロがキリストを知らないと3度言う事も予告。ペテロには「あなたの信仰がなくならないよう祈った」「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」とも諭したこの日の一連の出来事が、〃愛の戒めの木曜日〃の名の由来だ。
その夜、ゲッセマネの園と呼ばれる場所で、予告通り裏切ったユダが連れてきた兵士達に捕らえられたキリストは、夜明けを待って裁判にかけられ、その日のうちに十字架に掛けられる。
これが、復活祭前の金曜日(パイション)が〃受難日〃とか〃受苦日〃とか呼ばれる由来だ。
長い針のようなとげを持つ茨で作った冠を被らされ、鞭打たれた傷跡も痛々しい姿で、重い十字架を背負って歩いたキリストが歩いた道筋はヴィア・ドロローサと呼ばれ、キリストが倒れた場所や、別の人が代わりに十字架を背負わされた場所などを示す標識も残っている。
この木曜日から金曜日の出来事を扱った受難劇は聖週間につきもの。全伯各地で上演され、テアトロ・ダ・パイション、パイション・デ・クリストなどの名で検索を掛けると、上演の場所などを調べる事が出来る。
聖週間やその前から続く四旬節(クアレズマ)の時期に肉を食べない習慣の人もいるが、これはキリストの死を覚えるためのもの。(四旬節の場合は、キリストが40日40夜断食したとの故事に倣うもの)
十字架での死後、誰も葬られた事のない墓に葬られたキリストが3日目に復活し、死もその力を失ったことを記念する復活祭と共に、世界的に記念され、守られている聖週間。肉を避ける人が多く、バカリャウ(たら)などの魚の消費が増えることでも知られている。