ニッケイ新聞 2010年4月9日付け
CIATE(国外就労者情報援護センター)のセミナーに通っていた三善昭男さん(45、三世)は、昨年7月に帰国した。日本で永住権を取得し、1992年から4度行ったり来たりを繰り返してきた。
「デカセギは学歴がない人も多いから。日本でもらう1カ月の給料で、ブラジルでの給料ではできないことが何でもできた」
09年の帰国までは、8年間長野県のエプソンの工場で勤務。一昨年12月に解雇され、6カ月の間失業保険を受給して暮らした。愛知県に続き全国で2番目に失業率が高い長野県、そこで新たな就職先を見つけるのはやはり容易ではなかった。
「読み書きが十分にできないから、ハローワークでも仕事が見つからなかった。何もしないでいるのも、精神的に辛かった」と7月の帰国を決意した。
「日本政府の政策は良く分からないけど、帰国支援金の制度自体は大変ありがたい。家族で帰国する資金の余裕さえない人にも選択肢ができた」という三善さん。そう話しながらも、自身は帰国支援金を申請せず、自費で帰国したという。
その理由を尋ねると「僕たちの周りでは、あまり正確な情報が出回っていなかった。皆帰国支援金を受け取ったら、二度と日本へ戻れないと思っていた」と困惑した表情を浮かべ、「だから、特に若い人はあまりこの制度を利用しなかった」と説明する。
永住権を失いたくないという三善さんは、3年後には日本へ再入国しなければならない、それを見越しての選択だった。
三善さんの知人の一人は、新居を購入した2カ月後に仕事を解雇された。妻と2人の息子を抱え、末の息子は、まだほんの生後6カ月だったと三善さんはその苦境に心を痛める。
残された莫大なローンを前に、その家族に帰国する選択肢はなかった。やっと半年後に再就職が見つかったが、現在もローンを支払いながらの切り詰めた生活を強いられているという。
そういった知人たちの苦労も目の当たりにした三善さんは、「自分たちはこんなに一生懸命働いてきたのに、なぜこんな目に遭わなきゃいけないのか。資本主義(の現実)を感じて悲しくなった」と肩を落とす。
今後は、とりあえずブラジルで将来設計を立てると意気込む。「日本で長く働いたあと、突然にブラジル企業で働くのは慣れないから」と、日系企業、日本の進出企業への就職を希望し、再度就職活動に精を出している。(つづく、長村裕佳子記者)
写真=デカセギ間の情報の不足を指摘する三善さん