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ブラジルと日本のはざまで=帰伯デカセギの苦悩と決意=連載《4》=安藤さん=残った仲間たちが心配=「若い人も将来設計を」

ニッケイ新聞 2010年4月13日付け

 ブラジルで化粧品の販売やタクシーの運転手、事務職など様々な仕事を経験してきたという安藤トミオさん(60、二世)は、日本語が全く分からなかった非日系の妻と別れ、94年単身で初めて日本へ渡った。
 静岡県浜松市で働いた後、愛知県豊川市の自動車組立工場で検査を担当。一昨年の12月に解雇の通告を受けた。
 その工場では、従業員100人のうちブラジル人が80人。12月にその半数が解雇されたという。
 安藤さんは翌年1月からアルバイトを始めた。市役所で得た、3カ月間の学校の芝の手入の仕事だった。「その後は、仕事を探すのもあきらめた」
 帰国までの5カ月間は1カ月13万円の失業保険をもらって生活していたが、それでも、日本で働きながらブラジルの保険を払い続けてきた。昨年10月でちょうど35年目を迎えブラジルで年金をもらえる時期になり、それに合わせて11月の帰国を決意、帰国支援金を適用して帰国した。
 それに加え、50歳を越える年齢から日本での再就職に難しさを感じていた安藤さん。3年間の再入国制限には何のためらいもなかった。
 また、日本で10カ月支払った社会保険の8万円の返金についても、社会保険事務所で無事に手続きを済ませるなど、安藤さんは両国の社会保障制度をうまく利用してきたようだ。
 工場の同僚には夫婦や家族連れなど若い人が多く、皆日本の景気回復を待って留まることを選んだという。
 「みんなは数年したら景気が良くなると考えてるけど、僕はそうは思わない。状況は変わらないんじゃないかな」と安藤さんは話す。
 「日本政府の政策には賛成だけど、失業はいまだに続いている。少し景気が良くなったとしても、日本人でも仕事が見つからない人が多い中、ブラジル人で雇用を得られる保証はどこにもない」と慎重だ。
 さらに、「大勢デカセギで日本にいて何の社会保険も払っていない人が多いけど、一体どうするんだろう」と心配しながら、「若い人にも、将来設計を立ててデカセギに行ってもらいたい」と訴えかけた。
 安藤さんは「漢字が読めれば、パソコンも使いこなせる」と日本滞在中に2年間、ハローワークの開講する日本語教室に通って日本語能力試験3級を取得。浜松市で開催される、外国人の日本語スピーチコンテストにも最年長で参加したそうだ。
 長年の日本での生活を切り上げて帰伯した安藤さん。現在は、もう少し仕事がしたいとグルッポ・ニッケイのミーティングに参加して求職中。インターネットで株を勉強したいなど、まだまだやりたいことがいっぱいあるようだ。(つづく、長村裕佳子記者)

写真=若い世代に訴えかける安藤さん