ニッケイ新聞 2010年4月15日付け
文協の初代事務局長、ブラジル共栄保険の専務取締役を務めた故藤井卓治氏の親戚にあたる片岡永子さん(40、東京)が先月末に来伯、連絡がつかなくなった家族の消息を探しながら、故人にゆかりのある人から聞き取りを行っている。「インターネットなどで大叔父が日系社会で活躍していたことを知った。家族の歴史として一冊の本にまとめたい」と話し、「家族の連絡先を知っている方、生前に付き合いのあった方は是非、連絡して欲しい」と呼びかけている。6月13日までサンパウロに滞在する。連絡先は片岡(11・7342・1827)まで。
藤井氏は1930年、「りおでじゃねいろ丸」で、吉田稔、いさの夫婦の構成家族として来伯。藤井氏は、いさのさんの実弟。片岡さんの父方の大叔父にあたる。
戦前「サンパウロ州新報」の編集長、戦後「サンパウロ新聞」の総務局長を務め、53年「サンパウロ市400年祭」の日本人協力会事務局長に就任、同会が発展的解消を遂げて創立したサンパウロ日本文化協会(現ブラジル日本文化福祉協会)の初代事務局長として、辣腕をふるった。
58年の「日本移民50年祭」でも中心的役割を果たし、文協ビル建設委員会の事務局長など、山本喜誉司初代文協会長の右腕として戦後コロニアをまとめる一翼を担った。
ブラジル共栄保険の専務取締役だったほか、コロニアの役職としては、援協、日文連の理事、岡山県人会会長、県連会長などを務めている。
妻は静さん。3男3女は年齢順に、敏恵、道恵、ルイ隆史、セザール秀史、シセロ宏史、エリザ球恵さん。
日本で演劇活動をしていた片岡さんは、舞台の新たなテーマを探していたさい、家族からそれとなく聞いていた〃ブラジルの大叔父〃に思い当たる。
「日系社会で活躍した藤井卓治という人物に興味を抱くと同時に、ブラジルという国にも関心を持った」と今回の来伯のきっかけを話す。「いつかブラジルにーと貯金をしつつも夢を果たせなかった叔母もおり、家族を挙げて賛成された」と笑う。
藤井氏とは知己がないが、小学生の頃に来日したルイさんとは会ったことがあり、写真などを見せてもらったという。
しかし、藤井氏が85年に日本の家族に送った最後の手紙を最後に、自然に没交渉となった。
今回の来伯で岡山県人会、県連に問い合わせたが、家族の連絡先が分からないという。