ニッケイ新聞 2010年5月28日付け
ブラジル講道館有段者会名誉会長、元ブラジル代表チーム監督の岡野脩平さん(72、北海道出身)が、国内で5人しかいない「9段」にブラジル柔道連盟から昨年末に認められ、大部一秋在聖総領事立ち会いのもと、22日にサンパウロ州ボツカツ市で認定証の伝達式が行われた。サンパウロ州柔道連盟のフランシスコ・デ・カルバーリョ・フィーリョ会長は、日本政府からの協力に感謝しつつ、「9段は国内最高位。通常は80歳以上、その貢献の大きさを考慮して特別に昇段が認められた」と岡野さんに代表される日本移民の貢献を高く評価した。
27州に合計50万人の柔道人口があるが、その7割はサンパウロ州に集中しており、まさに世界的な柔道の中心地の一つといえる。16年間も同重職の任じてきたカルバーリョ会長は、「日本移民の存在なくして今のブラジル柔道はありえない。岡野先生は単なる試合の技術だけでなく、畳に上がる時のスリッパの脱ぎ方から始まり、年長者への礼、負けた時の心構えなど、人生そのものを我々に伝えてくれた」と深い感謝の気持ちを強調する。
現在トップクラスには日系選手こそ少ないが、代表チーム監督などの指導者には健在。日本移民が始めてブラジル人に広め、五輪で10個のメダルを獲得するなど、世界のトップレベルを競えるまでになった数少ない競技だ。
当日は、ボツカツ市立体育館でサンパウロ州柔道連盟主催の準青年大会が行われており、400人の選手と2千人の応援団を前に大部総領事から昇段証が手渡された。「感動的なセレモニーをしてもらって本当に嬉しい。大変満足している」と昇段を喜んだ。
岡野さんは「1908年、移民の歴史とともに柔道も始まっている。昔の方々がちゃんとその精神を伝えてきたことが、今の発展につながっている。今も大会は必ず時間通りに始まる。昔の先生方はみなサムライだった。そのおかげ」と先人への感謝の気持ちを捧げた。
北海道生まれ、10歳で柔道を始めた岡野さんは、中央大学の副キャプテンを務め、卒業後も64年、東京五輪後に世界の強豪が揃った国際親善大会で準優勝した。66年に山本勝造に呼び寄せられてサドキンで働くが、67年にはブラジル代表チームの監督を任され、72年ミュンヘン大会では石井千秋選手が初のメダル(銅)を獲得するなどブラジル柔道史に残る輝かしい1頁を刻んだ。
教え子には現在のブラジル代表監督の篠原準一さん(二世)、88年のソウル五輪の金メダリスト、アウレリオ・ミゲルを育てたカルロス・エドワルド・モッタさん(通称チッコ)らがいる。
小川道場の創立者・小川龍造の孫、仁さん(51、二世)も「02年に日本から、基本に立ち返る柔道ルネサンスが提唱されたが、ブラジルでは十分に伝統が残っているからその必要がないといわれた。これも先人の教えのおかげ」という。
岡野さんに今後の目標を尋ねると、「今ブラジル柔道史を書いていて、500頁ぐらいになる予定だ。特に日本移民の果たした役割をしっかりと書き残したい」と語った。