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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年6月16日付け

 サッカーW杯の対カメルーン戦で、日本代表が自国外初勝利を飾ったことを心から喜びたい。思えばここまでの間、日本は多くをブラジルから学んできた▼80年代にブラジルにサッカー留学し、90年代のJリーグ初期に凱旋して〃キング・カズ〃として君臨した三浦知 良選手のことは記憶に新しい。82年に高校を中退して渡伯。86年にはサントスFCとプロ契約し、パラナ州の松原クラブにも在籍した▼93年のW杯米国大会アジア予選時の司令塔・ラモス瑠偉、初出場となった98年仏大会で中山雅史選手の日本初ゴールにパスを出した呂比須ワグナー、02年W杯日韓大会に出場したパラナ州マリンガ出身の三都主アレサンドロなど多くの代表選手を供給してきた。今回は日系ブラジル人初の田中マルクス闘莉王がいる▼それ以前の、日本のW杯出場への道筋を整えたことにもブラジル人は関係している。非欧州人としては初めてジョアン・アベランジェが国際サッカー連盟(FIFA)会長に74年に就任し、最初に取り組んだのはアフリカやアジアの国々が参加できるようにW杯大会参加枠を16から24に増やすという〃種まき〃だった▼彼の在任最終年、さらに32に拡大した98年仏大会にようやく日本は初出場した。その種から芽が出て、02年はアジアで今回はアフリカ大陸開催となった。欧州と南米だけのスポーツだったサッカーを、まさにW杯の名にふさわしいもの組み替えたのはアベランジェだった▼ジュビロ磐田で闘将といわれ、サッカー王国静岡にその闘魂を伝えたドゥンガが、今回のブラジル代表監督だ。まさにサッカーは日伯交流に欠かせないスポーツになった。(深)