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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年6月17日付け

 先週この欄で戦前の生活の歴史を教えて欲しいと呼びかけたところ、さっそく数人から返答を頂いた。「いつから洋式の下着を着けるようになったか」には、神戸の移民収容所で洋式の服装をするように指導され、渡航者向けの売店で買って、男女ともサントスに上陸するときに身につけたという▼30年代などはイタリア移民の女性などでも長スカートの下に何もはいていない場合が多く、むしろ日本女性の方が土埃を嫌って下履きを履いていた人が一般的だったとの話も聞いた。欧州の田舎から来た人より、神戸仕込みの日本移民の方が洋式下着は早い場合があった訳だ▼1932年、東京の白木屋火災事故の時、当時は下着をつける習慣がなかったので、逃げ遅れた階上の和服女性が、地上にいる野次馬の好奇の視線を避けて、救助ロープから手を離して裾を押さえて落ちたことが広く報道されてから、女性がズロース(パンツ)をはく習慣が日本で一般化したとの説がある。だが最近の研究ではそうでもなかったらしく、女性一般に普及するのは終戦直後だったというから、ブラジル移民の方が早かったわけだ▼編集部まで植民地の刺身事情に関して教えにきてくれた内海博さんは、意外な事実を明かした。「けっこう川魚を刺身にして食べてました。変わったところでは豚の背中の脂を酢醤油で食べると、トロのような味がするんですよ」という。ビールは売っていたが高くて手が出ず、「もっぱら一樽いくらで買える安いピンガですよ」と笑う▼まさに貴重な移民の歴史。ぜひ戦前の生活の詳細を書いて投稿して欲しい。(深)