ニッケイ新聞 2010年6月19日付け
きのう6月18日は「移民の日」である。781人の移民を乗せた笠戸丸がサントス14番埠頭に着岸したのを記念した移民や子孫らの集いであり、年を重ねる毎にミサや仏式法要が寂しくなるのはやむをえまい。あの沖縄移民ら数多くの人 々が夢を膨らませブラジルの大地を踏みしめてから100と2年、すべてが遠い昔になってしまい記憶も薄れる▼日系4世になると、非日系のブラジル人と結婚するのが60%を超える時代であり、こうした若い人々に「笠戸丸」云々と話しても、理解を得るのは―正直に言って、難しい。日系の青年や若い女性が今のような結婚観を持ち続ければ、あと半世紀もしないうちに、日系社会(多分―消滅する)の構成は混血ばかりになる可能性が極めて高く、そういう現実が迫っている事実にもっと目を向けていい▼日本人移民の1人としては、例え混血になろうとも、あるいは10世になろうが、先祖らは遠い日本から海を渡ってきた大和民族の誇りを持ちたい。先輩移民はここブラジルで苦労したが、北米への日本人移民も艱難辛苦だった。1897年代(明治30年代)に日本人移民らは北米の西部にある炭鉱や鉄道敷設に従事し辛酸を舐めたが、落盤などの事故が多く犠牲者もいる。ところが、墓はあるけれども、亡くなった人の名や苗字は彫られていない。こんな移民の無縁仏はブラジルにもある▼イビラプエラ公園の「開拓先没者慰霊碑」は、こうした先輩らの墓である事も忘れないでほしい。「移民の日」に参拝はできなくとも、公園に遊びに行ったときには、せめて線香を一本捧げたい。(遯)