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学移連創立55周年=海外雄飛を夢見て=羽ばたいた学生たち=連載《11・終》=「世界に心開き続ける」=最後の委員長仲島さん

ニッケイ新聞 2010年6月24日付け

 改正出入国管理及び難民認定法(入管法)が1990年に施行されたことが契機となり、ブラジルから日本へのデカセギブームが起こった。93年にはJICA移住事業部からの助成金がなくなり、調査団を出すことが困難になった。資金難の中、当時の津川安正顧問(東京農大)が私財を投じて学移連の活動を支えた。
 第25次海外学生総合実習調査団として94年に渡伯した、第48期委員長の仲島尚さん(37、北海道、獨協大)らが最後の派遣となった。当時、サークル加盟はなくなり、連盟員はすべて個人加盟で10人弱にまで減っていた。これ以降(95年)調査団の送り出しは停止し、実質的に活動は行われなくなった。
 仲島さんの時代は月に一度くらいの割合で勉強会を行い、それぞれがテーマを持ち寄って議論をした。貿易の話や農業の話もしたが、親睦会の要素も強かったという。さらに、連盟員のいる大学で帰国報告会をしたり、日系子弟の県費留学生との交流、会報の作成などを行っていた。
 調査団の派遣が停止した後、97年に活動場所だった市ヶ谷の事務所をJICAに返還、自然と活動自体がなくなっていった。仲島さんは学移連の活動を振り返って、「たくさんの人たちと知り合えた。大学のサークル生活とはちょっと違った事を学んだ気がする。特に海外体験は今の自分に生きている」と語る。
 さらに仲島さんは「私が派遣団で行った頃は農業移住した先輩方が働き盛りでしたが、移住という言葉にすでにリアリティのない時代だった。しかし、学移連の思想の中に『異文化に飛び込んで混ざりあって自己実現をはかる』というものがあり、学移連の伝統を感じることができた」と活動を振り返り、「私はどういう生き方が良いかなど問うつもりは毛頭ないし、現代日本批判をするつもりもないが、ただ学移連には今と違ったマインドを感じたし、『世界に心を開き続ける』という観念で貫かれていた」との思いを語った。
 学移連はその後、目だった活動がなかったが、日本移民百周年の2008年、サンパウロ市で創立50周年(実際は53年目)を記念して盛大に記念式典を開催した。
 日本やアメリカから元連盟員や現役の大学生ら約50人が集まり、久しぶりの再会となった。本体は既に無くなっているが、同窓会にブラジルまではるばるやってくるOBらの顔は明るく、心は学生時代の頃に戻っていた。
 現在、ブラジルでは日比野亘さん(神奈川大)を代表に学移連OB会を組織し、年に数回OB会という形で親睦が図られている。
 学移連で青春時代を過ごした人たちは大学は違っても、若い頃「異国の地に夢を求め、切磋琢磨した我ら学移連の仲間」という意識が非常に強い。
 今月27日、神奈川県のJICA横浜で創立55周年の記念式典が開催される。当日は思い出をお土産に、たくさんの元学生達が集まることだろう。日本の移民事業の一端を担ってきた学移連、そのスピリットは日本でもブラジルでも力強く息づいている。(終わり、金剛仙太郎記者)

写真=仲島尚さん