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日本語教師リレーエッセイ=第4回(上)=「百年の計は子孫の教育」=ドウラードス・モデル校=城田 志津子

ニッケイ新聞 2010年6月26日付け

開港20周年式典で生徒たち

開港20周年式典で生徒たち

 ドウラードスモデル校の運営母体は南マットグロッソ州日伯文化連合会です。本校の教育目標は、『日本語教育を通して他国の文化を理解し尊重し、国際社会で活躍し得る人材の育成』を掲げて1989年に出発しましたので、単なる語学学校とは少々授業形態が異なり、幼稚部は週5日、午後の児童に対しては4日制で1日2時間の授業となっていますが、学習者の都合にあわせ、時間割を組んでいます。
 金曜日は学校行事や音楽、図工、習字、学校行事等の練習時間に当てています。ですから一人の生徒に接する時間が長いので生徒個人の生活指導なども行えます。
 しかし、教科書(日本語センター作成)に関する指導法は江副式語学指導であり、教育内容は『継承日本語教育』です。継承日本語教育は児童に対する教育であり、成人クラスは学習者の希望に応じた内容です。
 昨年、開校20周年を迎えましたが、最近、開校当初の生徒の子どもさんが入学してきましたので、生徒数も増えてきました。
 「可愛い我が子は日本語学校にあずけるのが一番安心だ」という声は、非日系の保護者からもよく聞く言葉ですが、「安心だ」という言葉には教科書以外に、課外活動による図工、音楽、学校行事であるお話発表会の練習、和太鼓、よさこいソーラン、日本着を着た踊り、学校運営資金を集めるためのバザーなどを通して、日本文化にふれながら躾、忍耐、協調性、責任感が養われ、それが生徒の行動に表れてきた結果だと思います。
 いろいろなイベントにおける発表の成果が生徒に達成感と喜びを与え、次のイベントに意欲を燃やし互いに励ましあう中で、友情の絆を強めていくという相乗効果が生まれてきました。
 『10年の計は植樹にあり、100年の計は子孫の教育にあり』という言葉がありますが、20年経った今、本校OBの若手リーダーが活躍し始め、先輩移民が残した正直、勤勉の遺産とともに日本語が継承されていることを実感します。
 また、日本語学校を取り巻く地域のブラジル社会からも、日本移民百周年を機に日本語学校が見直され、非日系の生徒が増え始めました。
 「日本語学校の生徒は見れば分かる。きびきびとした動き、後片付けをきちんとして帰る。素直に聞く耳を持っている」とお褒めのことばをいただきます。本校が開校当初より目指してきた日本語教育の理念が日系社会という枠組みを超えて認められてきたことは、ブラジルの大地で活躍する日系人にとって、日本文化のよき理解者と共によきブラジル国民の育成に参加できることは喜ばしい限りです。
 1990年の初頭、日本就労という大きな移動の波の中で、地域の日本人会の活力は削がれてしまい、やがて日本語学校の運営にも困難をきたし、日本語学校が消滅していきました。
 そして、世代交代の若い親たちは日本語教育についても、日本人会活動に対しても関心が薄れ、日本語学校は廃屋と化し、教室の中にはほこりにまみれた本棚、机、ピアノなどが息を潜めて隅に置かれています。
 こんな現状を目の当たりにするとき、日本人会に活気があったのは移住地の会館に子どもたちがたくさん集まってきて笑い、はしゃぎ、遊びまわり、授業が終わると小さな子どもたちも一生懸命、教室の掃除をして帰った生徒たちがいたからこそ、会館も教室も長い年月守られてきたのだと、そして、日本語学校が移住地の活性化に大きな役割を果たしてきたのだと改めて実感し、この子どもたちがやってきた当たり前と思われた掃除の積み重ねも、また、尊い仕事であったのだということに、今、気づかされました。
 かつて、日本語教育を受けた生徒たちは、一体どうなってしまったのでしょうか。
 日本人会に縛られるより自由にいきたいと思う気持ちが強くなったのでしょうか。
 それぞれの学校の教育目標はなにを掲げていたのか。この点がはっきりしていなければ、役員や教師の交代などで、どちらへでも都合のよいように向かってしまいます。
 この、問題を考えるとき、継承日本語教育でなければならないという意見と語学教育でなければ指導はできない。という二つの教育方法について議論が交わされてきました。そして、二者択一に語学教育を選択した学校もあったでしょうが、考えて見ますと特に児童の日本語教育は二つの教育方法を同時に行われなければ、教育という観点から考えたとき、それは少々片手落ちになるのではないでしょうか。どちらも、平行して行うところに日伯両語に通じた真のリーダー、日系社会を支える人材が育っていくのだと思います。(続く)