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日本移民の日 特集=祝=102周年目の日本移民の日=移住する時に持ってきて今も大事にとってあるモノ

ニッケイ新聞 2010年6月26日付け

 移住する時に持ってきて今も大事にとってあるモノ――それはすでにただのモノではなく、持ち主と共にブラジルに移住した仲間のような、家族のような存在かもしれない。中には、親から受け継ぎ、子に渡している〃名品〃もある。102周年目の「日本移民の日」にあたり、思い出の品を各地で尋ねてみた。

大きなお釜

 「いつもピンガばかり。よく怒鳴る恐い父で、嫌いでした」と父親の記憶を語るみちよさん。そんな恐い父が機嫌のいい時に限って、作ってくれた御飯が幼少時代の記憶の一つとしてはっきり刻まれている。
 父は日本から持って来た大きな釜を使って、味噌がないので醤油で味付けした汁ものを作り、それを御飯にかけた。その上に丸々一匹のカスクードの素揚げを載せたのが定番の組み合わせで、原さんが心待ちにしていたご馳走だった。
 母みちこさんは、原さんが4歳の時に亡くなった。「母が亡くなり、淋しかったんでしょう。父は男手一つで5人の子をよく育ててくれました。苦労したけど、食べ物だけは不自由させなかった」としんみり。大釜に込められた父の苦労、愛情に思いを馳せた。

原みちよさん(71歳、兵庫、パラナ州アプカラナ)

高級毛布

 移民するとき、ブラジルにはいい毛布がないと聞いた友人が贈ってくれた「ニッケイ」印の毛布。柳行李(やなぎごうり)に包んで持って来た。
 当地で鎌田さんが越した冬の数は50回。そのつど押入れから取り出され、底冷えするカストロの夜を暖めた。丁寧に修繕し、「まだまだ10年、20年は使える」と鎌田さん。今年も冬が訪れ、ちょうどこれから活躍の季節が待っている。

鎌田勝五郎(71歳、兵庫県、パラナ州カストロ)

恋文、ピンクのスカート

 「一目見て、タイプでした」。花嫁移民だった妻は、夫との出会いをそう思い出す。
 佳和さんの乗った移民船で移住監督を務めた人物の紹介で、日伯間で文通を始めた二人。一通目がことじさんの手元に届き、同封された写真を見て恋に落ちた。
 「他にも縁談話があったが、見向きもしなくなりました」と恥じらいながら話すことじさん。
 一年半も文通は続き、移民船が到着したリオの港で、実物の夫を初めて見た。花嫁は「写真よりもハンサムだった」と振り返る。蜜月旅行よろしく、佳和さんと共に、ことじさんの同船者花嫁3人と同地を観光した。
 そのときはいていたピンクのスカートはまだ大切にしまわれている。
 「その当時、ウエストは58センチ。今は片足も入りませんよ」と夫婦共に豪快に笑い飛ばした。

村上佳和(よしかず)・ことじ夫婦(69歳、広島・65歳、広島、サンパウロ市)

鉄瓶

 1歳でブラジルに着いた斉藤さんは、おばあちゃん子だった。父方の祖母(当時75歳)と共に来伯。「おてんばだった私は、良くおばあちゃんに怒られた。でも日本のことをいつも話してくれ、日本人としての躾もしてくれたおばあちゃんが好きでした」と感謝の思いは絶えない。
 日本生まれの自分が何も日本の物を持っていないことが淋しいと次第に思い始めた。だからおばあちゃんの持って来た鉄瓶が欲しかった。しかし、嫁に行き、苗字が変り譲り受けることができなかった。
 そんな中、40歳の頃、初めて自分で日本の生家を訪ね、そこで囲炉裏を見つけた。かつてそこに置かれていた鉄瓶に思いを馳せ、おばあちゃんの日本での苦労話を思い出した。おばあちゃんと共に海を渡り、今もブラジルの兄の家で使われる鉄瓶。「ブラジルに来て、おばあちゃんも鉄瓶も成功したんだなと思いました」と笑った。

斉藤美恵さん(79歳、茨城、サンパウロ)

のこぎり、鎌

 産業開発青年隊3次の1期で渡伯した大場さん。その当時から使っているのこぎり、鎌は手入れを繰り返し、今でも現役。もともと大場さんの父親が使っていたもので、渡伯の際に家から持って来た。今は一人息子が時より使っている。
 「日本製はやっぱりいい。家にあったから持って来た、あとは何も残っていないし、持ってきてもいない。裸一貫ですよ」と笑った。

大場繁吉(73歳、山形、パラナ州ロンドリーナ)