ニッケイ新聞 2010年6月26日付け
6月11日から始まったサッカーW杯も日毎に熱気を帯びてくるが、その報道を見るたび、勝敗の行方と共にその国からの移民の応援風景がテレビに映し出される。例えば11日の南アフリカ対メキシコ戦ではコパカバーナにメキシコ人が集まり、12日のギリシャ対韓国戦ではサンパウロ市のボン・レチーロで韓国出身者が集まるなど、国内に住む各国出身者が手に汗を握りつつ自国チームを応援している様子だ。多くの国からの移民が集まった事で、多様性に富み、包容力に富んだ社会として発展して来たブラジル。移民労働者が増えた欧米日諸国で、地元住民とのあつれきが生じて排斥活動が強まる中、当国の移民天国ともいえるあり方は、世界的に貴重な存在として注目されてもいい状態になってきたといえそうだ。
デカセギ帰国は世界中から
08年に表面化した国際金融危機の影響では、日本にいたブラジル人就労者が約7万人帰伯。人や金の流れに、世界の経済その他の動きが緊密に反映されるのも地球が小さくなった証拠だ。
例えば、5月26日付フォーリャ紙の、経済的な理由などで帰国したブラジル人はここ数年で40万人という記事は、定住目的か一時滞在かの違いはあっても、国外に住んでいた人々が数多く帰伯した事を表すもの。
それでも、現在国外に居るブラジル人は302万人とされ、その3割弱にあたる80万人は欧州在住だという。
これらの帰伯者の多くは、国際金融危機の影響で失業したりして国外に滞在し続ける事が困難になった人や、ブラジル好況を背景に国外で身につけた専門知識や技術を国内で生かすために帰国した人だと思われる。
世界から帰伯者が340万人中の40万人で全体の12%に当たるのに対し、日本からの帰国者は31万人中7万人で23%と高率なのは気になる数字だ。7万人中の3万人ちかくが日本政府の帰国支援策による帰伯とすれば、それを抜いた4万人は13%であり、世界平均とほぼ変わらない。この数字が意味するのは、日系人への「手厚い支援」だったのか、それとも「外国人を早く返したかった」のか。様々な受け取り方がある。
経済閉塞で労働者移民に門戸を狭めるのは西欧だけの事ではなく、米国アリゾナ州のヒスパニック系不法移民排斥条例制定も背景は同じだ。
一方、労働目的の移民達が経済的な理由で自発的またはやむなく帰国するケース以外に、民族の違いに起因する外国人排斥の動きがあるのも確かで、欧州などの不法入国阻止体制はますます強化されている。
先のフォーリャ紙記事では、2008~09年の欧州では、陸伝いや海路での不法入国を試みようとした人の3人に1人は入国を諦めたとある。例えば、海路での入国阻止のため警備を強化したイタリアの場合、不法入国者は8万4900人から4万8700人に43%も減少したという。
文明の衝突に起因する排斥
ブラジルでは、民族や文化の違いは多様性を生み、豊かさをもたらす原因の一つとなるが、民族の違いや文化の違いが文明の衝突という形で表れると、他者否定や他者排斥に繋がる危険も生じる。
欧州各国でのイスラム教移民やその子孫の問題はその一例で、フランスではイスラム女性が使う「ブルカ」や「ニカブ」の公の場所での使用を禁ずる法案を閣議決定されるなど、イスラム文明否定現象が起きている。
フランスでのイスラム女性の衣装禁止は、公共施設や道路などを含む公の場所で顔を隠す着衣使用を禁ずるもの。バイク走行時のヘルメットや外科手術後のマスク、カーニバルの仮装などは例外的に認められる。
現実には、目の部分に網状の布をつけて全身を隠す「ブルカ」や目の周りだけ見せるベール「ニカブ」を使って車を運転していた女性達が、「視界をさえぎる」との理由で罰金を言い渡されるなど、国会での同法案承認以前からイスラム女性に文化的同化を強要し、民族や宗教独自の文明受容の限界を問う様な出来事も起きている。
イスラム系男性が故国から花嫁を迎えるのは西洋社会の道徳的頽廃に汚されていない女性と結婚するためというが、イスラム文明と西欧文明の衝突は国内国家形成への恐怖心などにも繋がっている。世界は小さくなり、従来はなかった文明の衝突が起きている例だ。
労働力のグローバル化が進んで安価な外国人労働者の流入が進むと、それに反攻する形で従来国民のナショナリゼーションが強まるという現象が、受け入れ国側の先進諸国に広まっている。
フランスでは、人口に占めるイスラム教徒の割合が、パリで10%、マルセイユで25%と増大の一途。英国でもロンドン生まれの2人に1人は母親が外国人といわれるなど、西欧のイスラム教徒増大は深刻な問題で、米国の9・11事件後高まったテロへの恐怖も手伝って、イタリアやドイツでもベールの使用を制限しようとする動きが起きているという。
「文明の同盟」フォーラム
イスラム教徒と西欧社会の葛藤は、文明、文化の否定ともとれる着衣などの法規制に繋がってきているが、5月28、29日にリオで開催された国連の「文明の同盟」フォーラムは、文化の違いを超えた対話を通じた平和構築を目指すもの。
スペインのサパテロ、トルコのエルドアン両首相らの提唱で始まった同フォーラムは、2005年6月に開始されたプロジェクトで、欧州以外の地では初開催だった。
119の国や組織の代表約3500人が参加した開会式では、潘基文国連事務総長が「世界の主要な紛争の4分の3が文化の違いに根ざした側面を持っている」と指摘。「人種や信仰、更には名前により排斥されている人々がいる世界で、我々にはいっそうの努力が必要だ」と訴えた。
今回のフォーラムでは「平和への道としての文化の多様性」に関する全体討論と、「民主主義と文化の多様性」など12の分科会に分かれての討論が行われたという。
文化的多様性の国ブラジル
一方、5月27日付のフォーリャ紙は、リオ市が開催地に選ばれたのは数々の文化を統合、共有している故との説明に加え、社会民主主義を唱えるポルトガルの政治家ジョージ・サンパイオ氏の「ブラジルは多様性を持つのは良い事である事を証明する好事例」との発言も掲載。
西欧社会や米国での移民排斥の動きに対し、1980年、88年、98年、2008年の4回にわたり、不法滞在者の合法化処置(アネスチア=特赦)を講じてきたブラジルは、国際金融危機当時こそ移民受け入れに否定的な声が出たものの、今年に入ってからの外国人労働者数は記録更新中だ。
先にあげた「文明の同盟」フォーラム2006年11月の報告書では、「キリスト教が多数を占める西側諸国とイスラム世界のますます広がる分裂の原因は、宗教でも文化でもなく、本質的に政治にある」と述べているが、ブラジルが不法滞在者の合法化まで行い、外国人労働者の増加を許している現状は、経済的安定と発展の証拠であると同時に、過去の歴史や政策の反映といえるだろう。
先住民やアフリカから連れて来た奴隷を労働力とした時代終焉後は労働力確保のための移住政策を推進してきたブラジルの歩みは、ポルトガルからの移住者がアフリカからの奴隷や先住民達との混在、混血と共に、食や音楽、その他の文化の受容と融合を繰返し、人種や肌の色、文明や文化の違いを乗り越える歴史を反芻したものだ。
各地方にはその地域に住む人々の出身地にちなむ食の文化が定着して国民の生活を豊かにし、国内に居ながら異国情緒まで味わえるのは、ブラジルの持ち味のひとつ。
全伯最多の外国人移民が入ったサンパウロ州、中でもサンパウロ市住民にとって、国内各地の文化や風習や踊りに加え、多くの国からの移民が地区毎に展開する民族色豊かな行事を楽しむのは日常的なことだ。
しかし、世界を見わたしてみれば、民族テロや宗教紛争などが起きない平和な状態のまま、多文化を享受できる社会的包括性を持つ国はごくごく少ない。多様性は良いもので豊かさにもつながるとの認識して守り続ける姿は、この国を将来の大国にする宝、国民性といえるだろう。(倫)