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コチア青年55年・花嫁51年=55年目のコチア青年=パラナの仲間を訪ねて=《1》=クリチーバ=地元日本食の先駆け=観光ガイドは青年子弟

ニッケイ新聞 2010年7月15日付け

 1次1回の移住から今年55周年を迎えるコチア青年。9月19日の記念式典を前に、地方在住の青年を訪ねる2回目の親睦旅行が6月に実施された。今回の訪問地はパラナ州のクリチーバとポンタ・グロッサ。懐かしい人との再会があり、今も現役でがんばる青年たちの姿を喜び、また元気づけられながら、2泊3日の旅はにぎやかに過ぎた。(松田正生記者)

 今回で14回を数えるコチア青年の親睦旅行。55周年の式典参加を呼びかける今年の旅は、4月のレジストロ、イグアッペに続いて2回目となる。今回もコチア青年連絡協議会の新留静会長(一次十六回、鹿児島)、世話人の坂東博之さん(二次一回、徳島)ら40人あまりの青年、夫人、賛助会員たちが1台のバスに乗り込んだ。
 19日午後10時前にリベルダーデ広場を出発したバスは、途中バルゼン・グランデで聖南西方面の参加者を乗せ、国道116号を一路南へ。翌朝7時、クリチーバ市内の日本食レストラン「NAKABA」で同地青年の世話役、本多睦夫さん(77、一次一回、大分)、中場眞さん(70、二次四回、鹿児島)たちの出迎えを受けた。
 同レストランを経営する中場さんが、一行のため朝食を用意していた。おにぎりと漬物、味噌汁、パンやハム、チーズ。聞けば、そのパンを作っているのもコチア青年だという。一行はめいめいに食べ物を盛り、車中泊の疲れを癒す。
 59年に渡伯した中場さんは、最初の配耕先サントアマーロ、モジなどを経てクリチーバへ。花の販売を手がけた後、30年前に最初の日本食レストランを開店した。
 現在は60軒あまりあるクリチーバの日本食レストランも、当時は中場さんの店のほか1軒しかなかったという。「日本食は健康的ということで、医者や弁護士などに広まって。最初は見よう見真似でしたよ」と振り返る。
 以来日本食一筋。18年前から経営する二階建ての現店舗を閉め、住宅街に新しい店を構える予定だという。「同じ境遇で、同じような苦労をしてきた青年は兄弟みたいなもの。訪ねてくれ嬉しい」と訪問を喜んだ。
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 正午からの親睦昼食会を前に、午前中は市内観光に出かけた。ガイドを務めたのは徳留美和さんと、妹の恵さん。父親の徳留信孝さん(69、二次十回、鹿児島)はコチア青年だ。本業のガイドである美和さんが日本語でクリチーバの町を説明しながら、一行はジャルジン・ボタニコやオペラ・ハウスなどの観光名所を訪れた。
 初めてだっただろう、父と同じコチア青年関係者への観光案内。午前中のツアーを終えてレストランに戻った美和さんは「日本語がうまく話せなかったけど、分かってもらえたと思う。良かったです」、恵さんも「にぎやかな人たちで、良かった」と話していた。
 二人と別れ、一行は再び中場さんのレストランへ。正午から行われた昼食会には、クリチーバ、近郊在住の青年や家族など20人あまりが訪れた。
 中場さんの歓迎のあいさつ、坂東さんが地元世話人へ感謝を表した後、新留会長が「環境都市として発展したクリチーバを安住の地として、事業を起こし、地域社会に貢献してきた皆さんの苦労に敬意を表します」とあいさつ。さらに青年移住55周年、花嫁移住51周年の記念行事について説明し、「9月の記念式典にはぜひ、夫人、子供同伴で来て盛り上げてほしい」と呼びかけた。
 同地在住の青年、内野四郎さんの発声で一同乾杯。食事をとりながら、旧知の仲間との話がはずむ。(つづく)

写真=乾杯する青年たち。中央が内野さん、左右隣りがクリチーバ世話人の中場さん、本多さん