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大耳小耳

ニッケイ新聞 2010年8月6日付け

 58年から2年おきに3回、計60人が渡伯した東山農場農業研修生。OBによれば当時は年20%ほどのインフレがあり、研修生の給与調整はあったものの、回を追うごとに生活は厳しく、ストライキもあったという。また研修生の気質も回ごとに異なったようで、ミナス州ビソーザ連邦大学で植物病理学の教授を務めた松岡淳さん(三回)のように「変わった人が多かったね」と笑い飛ばす人あり、「二回生はのんびりしてたかな」という野水克修さん(二回)のような人も。3回で終わることなく続いていれば、コチア青年のように様々な人物が巣立っていったのかもしれない。
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 日系初の上院議員、柳井ジョルジ氏は4日に連邦議会で行なった教育・経済関係の演説の中で、今年原爆投下から65年を迎えることに触れ、「多くの広島、長崎県人がブラジルへ移住したが、それが史上最も悲惨な原爆から逃れ、次世代を残すことになるとは、夢にも思わなかったであろう」と述べた。柳井上議は、クリチーバに現在も住む母綾子さんが広島出身であることにも触れたという。